ジミーとジョルジュ 心の欠片(かけら)を探して

2015年1月公開予定 シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

実在した分析医と患者の治療記録を映画化

ジミーとジョルジュ心の欠片を探して

 第二次大戦終了から間もない1948年のアメリカ。カンザス州トピカの軍病院に、原因不明の激しい頭痛と視界不良を訴える先住民の男ジェームズ・ピカードが入院してくる。一通りの検査をしたが、肉体的には特に何の問題もない。だとすれば精神的なものを疑うべきだが、病院には先住民の文化に精通した医師がいなかった。病院は先住民の文化に詳しいフランス人の精神分析医ジョルジュ・ドゥヴルーをニューヨークから呼び寄せ、ジェームズ(ジミー)の担当医とする。戦争の混乱もあって正式な医師の資格を持たないジョルジュは、病院内で担当している唯一の患者ジミーとの対話を記録し続けるしかない。やがてジミーの心の底に沈んだ澱のような記憶が、少しずつ浮かび上がってくる。それは思春期に抱え込んだ罪の意識。深い心の傷が、身体的な変調の原因だった。同時にそれは分析医であるジョルジュ自身が封印していた過去を、静かに揺り動かすものでもあった。

 アルノー・デプレシャン監督の新作は、実在した精神分析医と彼の患者の実話をもとにしたヒューマンドラマ。1951年に出版されたジョルジュ・ドゥヴルーの著書「夢の分析:或る平原インディアンの精神治療記録」(邦訳なし)は、文化人類学と精神分析学を融合させた古典として今でも読者がいるという。デプレシャン監督はこの本のフランス語版を読んで、映画化を思い立ったらしい。主人公のジミーを演じているのはベニチオ・デル・トロ。ジョルジュを演じるのはマチュー・アマルリック。デル・トロは先住民の青年を演じているが、30歳の青年を演じるにしては少々トウが立ち過ぎているように思う。これは本来ならもっと若い俳優に演じさせるべき役だと思うが、そうなればただでさえ地味な映画がますます地味になってしまい、興行的に弱いものになってしまうと言う判断があったのかもしれない。商業映画はいつだって「興行価値」なしには成り立たないのだ。

 精神医療の世界で精神分析学がまだ大きな価値を持っていた時代の物語で、これは今となっては遠い懐かしい日々、古き良き時代ということになるのかもしれない。ジョルジュは彼にとってたったひとりの患者であるジミーと長時間向き合い、彼の心の奥深くに封印していた記憶を解きほぐして病気の原因であろう事件の核心に触れていく。しかし今ならひとりの患者に長時間のカウンセリングをするより、投薬であっという間に治してしまうことを選ぶのではないだろうか。それでは「医師と患者の心の交流」という人間ドラマが生まれない。医師が患者の心を開き、患者の治療を通して医師もまた変わるという物語は、もはや「むかしむかしあるところに」というおとぎ話にも似たファンタジーなのだ。デプレシャン監督はそのおとぎ話を、半ばリアルに、半ばおとぎ話として描き出す。マチュー・アマルリックの飄々としたキャラが、ふたつの世界のバランスをうまく取っている。

(原題:Jimmy P.)

シネマート六本木(スクリーン2)にて
配給:コピアポア・フィルム
2013年|1時間57分|フランス|カラー|2.35:1|ドルビーデジタル
公式HP: http://kokoronokakera.com
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt2210834/

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