サン・オブ・ゴッド

1月10日(土)公開予定 新宿ピカデリー、丸の内ピカデリー

新解釈が特にない「聖書に忠実」なキリスト伝

サン・オブ・ゴッド

 西暦1世紀末。流刑地であるパトモス島で、ひとり生きながらえている老人がいた。彼の名はヨハネ。イエス・キリストの弟子で、使徒と呼ばれたグループの一員だ。彼以外の使徒たちは全員が殉教し、今は彼が最後の使徒になっている。ヨハネはイエスと出会い、共に過ごした日々を回想しはじめる……。その頃のユダヤはローマ帝国支配下で、人々は自分たちを解放してくれる力強い指導者、メシアが現れるのを期待していた。ガリラヤに現れたイエスは次々に起こす奇跡、力強い言葉、そして人懐こい笑顔で人々の心をつかみ、周囲の人たちに「彼こそメシアだ」という期待を抱かせる。だがこれを快く思わなかったのが、人々の指導的立場にあったファリサイ人たちだ。彼らの目から見ると、イエスは神をないがしろにする冒涜者であり、人々を扇動する危険な男なのだ。祭りのためイエスがエルサレムにやってくると、指導者たちは彼の影響力を恐れて捕らえることを決めた。

 ヒストリーチャンネルで放送されていた「ザ・バイブル」という全10話のミニシリーズから、イエス・キリストの生涯だけを抜き出して再編集した劇場映画版。ハリウッドでは聖書を題材にした映画が何度も作られているのだが、ここ何十年かはそれも下火になり(時々は作られる)、もっぱらケーブルテレビ向けの番組としてこのジャンルが生き延びている。本作もそうした中のひとつだが、聖書の中の特定のエピソードを取り上げるのではなく、創世記の天地創造から黙示録まで通しで描いたスケールの大きな作品になっているようだ。この映画版でも引用されている短い映像から、その片鱗がうかがえる。だがこの『サン・オブ・ゴッド』が面白いかというと、それはかなり微妙だ。物語後半にあるイエスのエルサレム入城、最後の晩餐、逮捕、裁判、処刑、復活に至る「受難劇」の重厚さと緻密さに比べると前半が弱いのだが、作品の面白さはこの前半であったりするからだ。

 映画は弱さも欠点も持ち合わせた普通の人間たちが、イエスという強力な磁場にとらえられて右往左往する様子を生々しく描き出そうとする。ユダヤの総督ポンテオ・ピラトと、ユダヤ教の最高指導者カイアファこそが、じつはこの映画の中心人物なのだ。彼らはそれぞれの保身を第一に願う政治的思惑から、イエスを捕らえて処刑してしまう。これは他の人間たちも似たようなものだ。それぞれの野心と打算、不安と保身が、イエスの周囲の人間を突き動かしていく。映画がそれらを十分に描けているとも思わないが、不完全ではあってもそこにはリアルな人間の造形がある。だがイエスはどうだろう。僕は相変わらず、イエス・キリストという「人間」がわからない。特に映画終盤のイエスの姿は、十字架の道行きなど伝統的な受難劇の絵解きになっているだけで退屈ですらある。キリスト伝としてはセシル・B・デミルの『キング・オブ・キングス』(1927)レベルだと思う。

(原題:Son of God)

アスミック・エース試写室にて
配給:ブロードメディア・スタジオ 宣伝:アルシネテラン
2014年|2時間18分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|ドルビーデジタル
公式HP: http://sonofgod.jp/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt3210686/

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