チョコリエッタ

1月17日(土)公開予定 新宿武蔵野館

将来の夢は、犬になることです。

チョコリエッタ

 進路指導の「将来の夢」の欄に、高校2年生の知世子は「犬になりたい」と書いた。でも本当は違う。わたしはそもそも人間の女の子じゃない。犬のチョコリエッタなんだ。知世子は以前観たフェリーニの『道』を、また観たいと思う。以前うちではジュリエッタという名前の犬を飼っていた。『道』でヒロインを演じたジュリエッタ・マシーナが、たぶんその名前の由来に違いない。母は知世子のことも、ふざけてチョコリエッタと呼んでいた。「ワンワン! わたしは犬よ」。それは知世子にとって、10年前の交通事故で永遠に失われてしまった母との幸せの記憶。『道』のDVDを求めて、知世子は映研の先輩だった正宗を訪ねる。「俺の映画に出ないか」と迫る正宗を煙たく感じながら、「この世から消えてしまいたい」という思いがふたりの心を結びつけて行く。「先輩、海に連れて行ってください!」。知世子は正宗の運転するバイクで、映画撮影を兼ねた旅に出るのだ。

 「青春映画とは、何者でもない若者が何者かになろうともがく物語である」というのが僕の定義なのだが、この映画はそういう意味では普通の青春映画ではない。なぜなら知世子も正宗も、何者かになろうとはしていないからだ。彼らは「何者にもなりたくない」のだ。知世子は女の子であることをやめて、人間であることをやめて、犬のチョコリエッタになりたいと思う。正宗は高校を卒業して浪人中だが、受験勉強をする気もなく、何か仕事を探すでもなく、「目指すは永久浪人」とうそぶいている。ふたりに共通しているのは、成長を拒否し、未来を拒絶していることだ。しかしこの映画は最後に、きちんと青春映画に着地する。宮永知世子はチョコリエッタであることをやめて、何者でもない「野良犬」になることを決意し、正岡正宗も自分の名前が書かれている紙を破り捨てる。彼らはその瞬間、「何者でもない存在」という青春の真っ直中へと飛び込んで行く覚悟を決める。

 2時間40分もある映画だが、特に長すぎるという印象は持たなかった。「映画についての映画」という、映画ファンならそれだけで点が甘くなってしまうジャンルであることもあるだろう。だがそれ以上に、「何者にもなりたくない」とか「未来を生きたくない」という主人公たちの気持ちに、切実な真実味があればこそつい引っ張り込まれてしまうのだ。映画にはややわかりにくいところもある。物語の始点を2010年に設定し、震災後の今を描こうとしている部分などは未消化なままになっていると思う。それでも「未消化でもいいのだ」と許してしまえるのは、この映画が「未消化なままでも先に歩み続けざるを得ない青春の実像」をテーマにしているからだ。先に何があるかわからない。自分のやっていることが正しいのかもわからない。でも若者たちは生きる。自信がないまま、手探りで、でも確信を持って生きる。そこに「人間が生きること」の原初的な姿があるのだ。

京橋テアトル試写室にて
配給・宣伝:太秦
2014年|2時間39分|日本|カラー|DCP
公式HP: http://www.suzufukudo.com/chokolietta/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt3257520/

チョコリエッタ (角川文庫)
大島 真寿美
KADOKAWA/角川書店
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