セシウムと少女

4月25日(土)公開予定 ユジク阿佐ヶ谷

瑞々しいアヴァンギャルド感覚!

セシウムと少女

 高校生のミミちゃんは東京の阿佐ヶ谷に住んでいる。学校での成績はトップクラスだが、ちょっと変わり者扱いされて浮いた存在だ。ある日ミミちゃんは老人ホームに入居するおばあちゃんを見舞いに行った際、不注意で九官鳥のハクシを逃がしてしまう。ハクシはおばあちゃんが大好きな詩人・北原白秋にちなんだ名前。戦前の阿佐ヶ谷には文化人が数多く居住し、「阿佐ヶ谷文士村」と呼ばれたこともある。白秋も最晩年の数年間を阿佐ヶ谷で過ごしたことがある。ミミちゃんは逃げた九官鳥を探して歩く中で、たまたま雷神のらーさんと、風神のふーさんに出会う。神様たちは九官鳥探しを引き受け、鳥に詳しい海神のうみさんに連絡。さらに次々と神様が現れて、ミミちゃんの前には総勢7人の神様が勢揃いする。九官鳥を探す旅は、やがておばあちゃんが少女時代を過ごした阿佐ヶ谷と北原白秋を追う旅となり、さらに東京に飛散した原発事故のセシウム量をはかる旅になる。

 マンガ専門誌「COMIC BOX」(休刊中)の発行元であるふゅーじょんぷろだくとの代表取締役であり、阿佐ヶ谷にあるミニシアター「ラピュタ阿佐ヶ谷」の館主でもある才谷遼の映画監督デビュー作。監督は1952年生まれだから今年63歳。還暦過ぎての遅咲きのデビューだが、これがじつに瑞々しい感覚の楽しい映画になっている。おそらくこの映画の中には、現時点で監督がやりたいことが一通り詰め込まれているのだ。短編アートアニメーション。往年の日本映画に対する愛情。地元の阿佐ヶ谷に対する愛着。阿佐ヶ谷で晩年を過ごした北原白秋に対する複雑な思い。日本中を覆いつくす同調圧力に対する嫌悪。2011年の原発事故とその後の日本社会に対する怒りや苛立ち。そのすべてが今回この映画の中にゴチャゴチャと、いくぶん未整理なまま押し込められているのだ。だがこうしたゴチャゴチャしたところも、すべてが映画の魅力になっているように思う。

 ストーリーがどんどん飛躍して行ったり、映像や演出に実験的な手法を取り入れているのがこの映画の特徴だろう。これらはかつてアートアニメ作品や、実験映画、アヴァンギャルド映画で、多くの作家が繰り返し用いてきた技法だ。だからこれらの表現は、決して新しいものではない。個々の表現には作り手の個性があるにせよ、ここには本当の意味での実験も、アヴァンギャルド(前衛)もないからだ。100年前の映画作家たちが手探りで行っていた実験を、この映画は既成の表現技法として取り込んでいる。同じような感覚は、大林宣彦の初期作品などにもあったはずだ。例えば『HOUSE ハウス』(1977)や『時をかける少女』(1983)には、本作に近いテイストがあるのではないだろうか。あるいはヤン・シュヴァンクマイエルの長編劇映画にも通じる世界だ。欠点は映像表現ほどにはストーリーが面白くないこと。エピソードは多くてもドラマとしては弱い。

映画美学校試写室にて
製作・配給:ふゅーじょんぷろだくと
2015年|1時間51分|日本|カラー
公式HP: http://cesium-to-shyoujyo.com/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt3966548/

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