きっと、星のせいじゃない。

2月20日(金)公開 TOHOシネマズ日本橋ほか全国ロードショー

重い病気があったとしても少年と少女は恋をする!

きっと、星のせいじゃない。

 ヘイゼルは子供の頃にガンが発症し、17歳の今も抗ガン剤治療を続けている。現在は小康状態だが、いつも酸素ボンベは手放せない。「死」はいつも彼女のすぐ近くにある日常なのだ。「あなたには友達が必要よ」と母に言われて、若いガン患者の会に出席したヘイゼル。そこで出会ったのが、18歳のオーガスタス(ガス)だった。骨肉腫で右足を切断したという彼は、屈託のないユーモアでヘイゼルを笑わせてくれる。お互いを知るには、自分たちの好きな本を交換するのが一番。ガスはヘイゼルに冒険SF小説を、ヘイゼルは「大いなる痛み」というガン患者を主人公にした小説を貸す。それから数日後、ガスからメールが届いた。「なんでこの小説はこんな終わり方なんだ。続きが読みたい!」。ガスは小説の作者ヴァン・ホーテンにメールを出し、「続きが知りたければ会いに来なさい」という返事を受け取る。ガストヘイゼルは彼に会うためオランダに向かうのだが……。

 僕は青春映画を「何者でもない若者が、何者かになろうとしてもがく物語」と定義している。だがこの映画は主人公たちが「何者かになる」ことは永久にない。主人公たちは未熟な少年少女から、成熟した大人に成長することができないのだ。彼らはどれほどもがこうと、何者にもなることができない。それがこの映画を、他の青春映画と大きく異なったものにしている。もちろん「若くして病気で死んでしまう主人公」を描く「難病もの」は、これまでもたくさん作られている。この映画も序盤はそのパターンを踏襲していくのだが、途中から大きく方向性を変える。ヒロインのヘイゼルは「見送られる者」であったはずが、恋人ガスの病気再発で「見送る者」へと立場を変えてしまうのだ。いずれ自分も死んで周囲を悲しませるだろう。だがその前に、自分が誰かの死で悲しむはめになるとは思ってもみなかった。いかに短い人生であっても、その中身は思いがけないことの連続だ。

 映画のテーマは「愛する者の喪失」と「生き残った者が残りの人生をどう生きるか」なのだと思う。ヘイゼルとガスの物語と響き合うように、ヴァン・ホーテンの物語が語られ、アンネ・フランクと父オットー・フランクの物語が挿入される。ヴァン・ホーテンもオットー・フランクも、愛する我が子を失った人たちだ。彼らはその痛みを周囲と分かち合う。ヴァン・ホーテンはその経験をもとに小説を書き、オットー・フランクは娘の日記を出版した。だが誰もがそうしたことができるわけではない。そもそもヘイゼルには、今後何かをするための時間が残されていないのだから。彼女はあまりにも無力だが、その無力さゆえに、彼女は「愛する者を失った人々」の代弁者に成り得ているのだ。誰もが自分の経験を、小説にできるわけではないのだから……。

 主演のシャイリーン・ウッドリーとアンセル・エルゴードが爽やかな印象を残す。物凄い美男美女ではないところがいいね。

(原題:The Fault in Our Stars)

早稲田松竹にて
配給:20世紀フォックス
2014年|2時間6分|アメリカ|カラー|ビスタサイズ|ドルビーデジタル
公式HP: http://www.foxmovies-jp.com/kitto-hoshi/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt2582846/

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