Dressing Up

8月中旬公開予定 シアター・イメージフォーラム

思春期の少女は心に魔物を飼っている

Dressing Up

 中学1年の育美は父と二人暮らし。学期途中で引っ越しと転校をすることになったが、面倒見のいいクラスメイトがすぐ友人になってくれた。だが彼女が学校に馴染めないのは、転校が原因ではない。そもそも彼女は、自分の周囲の環境にすべて違和感を感じていたのだ。父親との暮らしに対する違和感。そもそも自分は何者なのか、それすらよくわからなくなることがある。同じクラスのいじめグループにちょっかいを出された育美は、感情を爆発させて相手の生徒に暴力を振るってしまった。また同じだ。育美は時々、自分の中から飛び出してくる感情の高まりを自分自身で抑えることができなくなる。巨大な怒りと破壊衝動に突き動かされて、突発的に暴力を振るうことがある。前の学校を追われるように転校しなければならなかったのも、同じようなトラブルが起きたからなのだ。やがて育美は自分の母も、同じように暴力衝動から人を傷つける狂気の持ち主だったことを知る。

 監督・脚本・編集は安川有果。主演は祷キララ。上映時間1時間ちょっとの中編映画だが、あと20分足して長編にするようなことはせず、正味ギリギリのタイトな構成と演出で勝負している。タイトすぎて説明不足に感じるところもあるが、逆にそれが作品のスピード感を生み出してもいるのだろう。この映画は立ち止まらない。周囲を見渡したり、後ろを振り向いたりもしない。スタートしたら、そのまま一気呵成にラストシーンまで突っ走って行く。映画はヒロインの少女が抱える狂気や暴力を描いているが、それより根っこにあるのは「自分は何者なのか?」という自我の模索だろう。誰だって多かれ少なかれ思春期の頃には、「自分は他人とは違うのではないか」「自分だけが異常なのではないか」と思い悩むものだと思う。他人はどうであれ、少なくとも僕はそういう悩みを抱えていた。中学の時に2度転校して周囲に馴染めなかった。だからこの少女につい感情移入する。

 ヒロイン育美の中学校での友人関係と、彼女と家族の関係が重なり合うように配置されているのだが、家族関係については見ていて違和感を感じた。父親と娘の関係がぎこちなく、あまりにも頼りないものとして描かれているのだ。母親は育美のごく小さな頃に亡くなっているのだから、父と娘はそれからふたりきりで生きてきたのだろう。なのになぜ、ふたりの関係はかくも他人行儀なのだろうか。この関係を説明するには、さらに別の補助線が必要だと思う。父親が毎日のように娘に「おみやげ」を買ってくるのだが、それが小さなぬいぐるみだというエピソードは悪くない。父は娘に対して、「いつまでも小さな子供のままでいてほしい」「成長してほしくない」と考えているのだ。育美が自分自身の暴力衝動を抑圧してしまったのは、母から彼女に伝えられた「血」の問題ではなく、この父親に原因があるのではないだろうか。父と娘の関係が、この映画の本当のテーマなのだ。

映画美学校試写室にて
配給:ドレッシング・アップ 配給協力:トラヴィス
2012年|1時間8分|日本|カラー
公式HP: http://dressingup.sakuraweb.com/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt4823258/

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