天使が消えた街

9月5日(土)公開予定 ヒューマントラストシネマ有楽町

殺人事件の真相究明に熱中する人々

天使が消えた街

 世界遺産にも登録されている中世の美しい街並みを持つイタリアの町シエナ。だが2011年にこの町が世界的に注目をあびていたのは、ひとつの殺人事件の裁判によるものだった。4年前にエリザベス・プライスというイギリス人留学生が惨殺された。容疑者として逮捕されたのは、彼女のルームメイトだったアメリカ人留学生ジェシカ・フラーとイタリア人ボーイフレンド、ジェシカがバイトをしていたバーの経営者。彼らは一審でそれぞれ有罪判決を受けたが、ジェシカたちはそれを不服として二審で事実関係を争っていたのだ。この事件の映画化を企画して、映画監督のトーマス・ラングが町にやって来る。彼を迎えたのはイタリア在住のアメリカ人ジャーナリストで、事件についての著書があるシモーン・フォード。トーマスは彼女の経験と人脈を頼って事件の真相を探っていくが、彼に強い印象を与えたのは事件そのものより、事件の取材に群がる世界中のマスコミだった。

 映画のモデルになったのは2007年にイタリアのペルージャで起きたイギリス人留学生惨殺事件だが、映画は舞台をシエナに移し、事件関係者の名前も別の名前に変えるなどしたフィクションだ。このあたりの経緯は映画の中で一応説明されている。例えば事件をよく知るシモーンは、「映画にするならフィクションにすべきよ。でないと事件の真相には迫れない」と主人公のトーマスに助言している。また物語を事件の再現ドラマにせず、事件を巡る人々のドラマにしたいという主人公のプランや、全体の構成をダンテの「神曲」になぞらえたいといった構想は、この映画の中にそのまま生かされているように思う。この映画は「実録犯罪ドラマ」ではなく、まず「映画を作る映画」なのだ。しかも劇中でその映画の構想について語り、語った構想がそのまま映画に反映していく入れ子構造のメタフィクションになっている。そういう意味で、これはものすごく技巧的な作品なのだ。

 これだけ凝った構成になっているのだから、映画は主人公がたどる「迷宮」をそのまま「迷宮」として描きさえすれば、一風変わったスリラーになったと思う。脚本の上では主人公が行き詰まりを麻薬の吸引で突破しようとする(あるいはごまかそうとする?)エピソードが後半にあり、主人公は麻薬による酩酊によって現実と空想の区別を失っていく。ところがマイケル・ウィンターボトムの演出はあくまでもリアリズムで、いつまでたっても超現実的な主人公の主観世界には飛ばないのだ。超現実的な描写があっても、「これは夢です」とバカていねいに説明してしまう。これでは主人公の戸惑いや混乱が、映像表現として観客に伝わってこない。映画を観ている人が欲するのは「説明」ではなく、映像を通した「体験の共有」だと思うのだが、この映画は説明ばかりが積み重なっていく。面白そうな素材なのに、それが映画としてうまく消化されていないのではないだろうか……。

(原題:The Face of an Angel)

アスミック・エース試写室にて
配給:ブロードメディア・スタジオ
2014年|1時間41分|イギリス、イタリア、スペイン|カラー|シネマスコープ
公式HP: http://www.angel-kieta.com/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt2967008/

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