土徳流離 〜奥州相馬復興への悲願〜

公開未定

原発事故と相馬に根付く真宗移民の歴史

土徳流離

 2011年3月11日の東日本大震災による津波被害とそれに続く原子力発電所の爆発事故で、福島県の相馬地方は大きな被害を受けた。人家や畑がそこに住んでいた人間もろとも津波で海に流され、残った人たちも原発事故で移住を余儀なくされている。だがこの地域が存亡の危機にさらされたのは、これがはじめてのことではない。今から200年以上前、天明の飢饉で相馬中村藩は餓死者・病死者・離散者が続出して人口は激減。藩存亡の危機を救うため積極的に導入されたのが他国からの移民であり、主に北陸や上中越の浄土真宗門徒たちが呼びかけに応じて相馬へと移住した。熱心な信徒たちは次々に真宗の寺院を建立し、自分たちの信仰と暮らしを次の世代へと引き継いでいく。しかしそれからしばらくして、今度は天保の飢饉が地域を襲う。藩は二宮尊徳の思想にもとづく仕法によって窮状を脱したという。だが幾度もの試練を乗り越えてきた相馬を、再び大災害が襲う。

 東日本大震災と原発事故についての映画は数多く作られているが、本作はそこに「相馬で暮らす浄土真宗門徒」という切り口で迫っていくドキュメンタリー映画だ。前編「はるかなる山河をこえて」が100分、後編「無量の時のあなたたちへ」が103分、合わせて203分という大作。前編で描かれるのは、天明飢饉の後に相馬に移り住んだ真宗移民のルーツをたどる物語。江戸時代の農村部では間引きによって人口調節が行われていたが、真宗が盛んな地域ではそれが行われず、結果として人口過剰な状態になりがちだった。一方で飢饉による人口激減で財政が悪化した相馬は移民を積極的に誘致して、身ひとつでやって来る移住者に対して土地や家屋、家畜や農機具、作物の種まで世話したという。移民はそれまでの住民とはまったく別の文化を持っていたし、宗教も違う。それでもあえて移民の受け入れを決めた相馬の覚悟が、結果としてはこの地域を救うことになったのだ。

 日本海側の農村地帯から相馬へと向かう人々の旅は、農民の移動が厳しく制限されていた江戸時代においては命がけのものだった。ふところに観音像を抱いて細い山道を遠い約束の地へと向かう人々の姿は、ヨーロッパから新大陸を目指すピューリタンたちの姿に似ているかもしれない。相馬にたどり着いた人たちはピューリタン同様、新しい土地で信仰を中心にすえた共同体を作って生活する。アメリカで開拓者の作る新しい町の中心に教会が作られるように、相馬でも真宗移民の集落の中に次々寺院が作られていく。映画の中では両地域に今も残る真宗行事の様子などが取材されているが、時間と空間を隔てて同じ信仰が継承されている様子は感動的だ。

 だが原発事故はこうして継承されてきた地域の歴史や文化を、容赦なく破壊してしまうのだ。強制避難によって管理が行き届かなくなった寺が、雑草だらけになったり漏電で焼け落ちたり……。その残酷な光景に胸が痛くなる。

築地本願寺・講堂にて
配給:未定
2015年|3時間23分|日本|カラー|HD
公式HP: https://www.facebook.com/dotokuryuri
IMDb: http://www.imdb.com/name/nm2725441/

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