ハッピーエンドの選び方

11月公開予定 全国ロードショー

自分の人生の最後を自分らしく生きる!

ハッピーエンドの選び方

 エルサレムの老人ホームに、夫婦で入居しているヨヘスケルとレバーナ。夫のヨヘスケルはアマチュアの発明家で、人々の役に立ったり立たなかったりする道具を日々発明している。だが夫婦にとって目下最大の関心は、友人ヤナの夫マックスが病気の末期症状で苦しんでいることだ。回復見込みのないまま、ただ苦痛でのたうち回っている姿は見るに忍びない。もはや医者が処方する痛み止めも効果がなく、あとは体力が徐々に失われて命が尽きるのを待つばかりなのだ。ヨヘスケルは見るに見かね、苦痛なしに安楽死できる自殺装置を作り出す。マックスはこの装置を使って、友人たちに見守られながらあの世に旅立った。だがこの話を聞きつけて、ヨヘスケルのもとには「装置を使って楽にしてくれ」という依頼が次々舞い込むようになる。妻のレバーナは「結局は人殺しだ」と非難するのだが、間もなく認知症がひどくなり、彼女自身が別の施設に移動しなければならなくなる。

 安楽死や尊厳死の問題は高齢化が進む日本でも時折話題になるのだが、「死」をタブー視する風潮もあってなかなか表立った本格議論が行われにくい傾向がある。日本では安楽死が認められていないし、それを家族が手伝えば「殺人」か「自殺幇助」で警察に逮捕されてしまう可能性が高い。それはイスラエルでも同じようで、苦痛に耐えかねる家族を「救ってくれ」と懇願する友人に対し、主人公が「スイスに行け!」と言う場面がある。スイスでは安楽死が合法化されているからだ。それに対して病人の家族は「もう体力がない。そんなことしたら死んでしまう!」と反論するのだが、この返答こそがこの問題の難しさを物語っていると思う。家族は病人を殺してほしいわけではないのだ。死ぬことによって苦痛から逃れることが目的なら、スイスに運べばいい。途中で死んでしまってもそれはOKだ。だが求めているのは死ではなく、「家族が最後まで生を全うすること」なのだ。

 痛みは人間の性格を変えてしまう。人格を歪めてしまう。本人はもちろん辛いが、それを見ている周囲の人たちも辛い。自分の親しい、愛する人が、ひとたび痛みに憑依されると、まったく別の誰かに変貌してしまうからだ。終末医療での痛みのコントロールはかなり技術が進んでいるようだが、その効き目がなくなってしまった時点で「安楽死」は積極的な選択として考慮すべきなのかもしれない、と思ったりはする。この映画を観た人の多くは、苦痛にあえぐ家族の苦しみを取り去りたいと願う人たちに同情し、主人公たちの行動にも何らかの共感を抱くのではないだろうか。ただし、映画の最後に出てくる選択については、それとはまた別の議論がありそうだけれど……。

 安楽死や尊厳死の問題を真面目に扱いながら、映画のジャンルとしては間違いなくコメディだ。試写室の中もクスクス笑いが絶えず、時には爆笑に包まれることすらあった。一見の価値がある映画だと思う。

(原題:מיתה טובה)

アスミック・エース試写室にて
配給:アスミック・エース
2014年|1時間33分|イスラエル|カラー|ビスタ|5.1chサラウンド
公式HP: http://happyend.asmik-ace.co.jp/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt3163304/

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