10月公開予定 シアター・イメージフォーラム
山口小夜子とは何者だったのか?
ファッションモデルの山口小夜子が2007年に亡くなり、身寄りのなかった彼女の遺品は親しかった人たちの手で大切に保管された。生前の彼女と親交のあった映画監督の松本貴子は、山口小夜子についてのドキュメンタリー映画を作るに当たって、まず彼女が残した品々の封印を開くところからはじめようと決意する。品物が運び込まれたのは、小夜子も学んだ服飾学校の杉野学園。彼女の後輩である学生たちも手伝って、膨大な数の段ボール箱が封を切られていく。現れたのは、山のような数の服、アクセサリー、本、ビデオ……。「物が捨てられない」と嘆いていた小夜子の遺品には、生前の彼女のすべてがあった。松本監督は遺品を整理しながら、今も各界で活躍する小夜子ゆかりの人々を訪ねる。高校時代の親友。学校時代の恩師。彼女を最初に抜擢したデザイナー。日本国内で山口小夜子のイメージを決定的にした資生堂の関係者……。そこにはそれぞれの小夜子がいた。
僕自身の個人的な時間軸からすると、山口小夜子は僕よりだいぶ上の世代の人だ。1949年生まれの彼女は、1966年生まれの僕にとって「母親と同じような年」とは言わぬまでも、僕の叔父さんや叔母さんと同じ年頃。1949年(昭和24年)生まれは戦後ベビーブーマーであり、世代の区分で言えば「団塊の世代」に該当する。1960年代にミニの女王として一世を風靡したモデルのツィッギーは、彼女と生年月日がまったく同じらしい。同年生まれの人たちは今年66歳。還暦をとっくに過ぎたいい年のおじさんやおばさんたちで、山口小夜子がどういう世代の人たちにとってのスターだったのかがこれで何となく察せられる。彼女のモデルとしての全盛期は1970年代後半から80年代にかけてだが、僕はその頃まだ子供でファッションには興味がなかったし、多少なりともオシャレを気にするようになると、彼女は既にファッションとは別の領域に飛び出していた。
彼女と多少なりとも時代的な接点を持つ人にとって、それぞれの山口小夜子がいるのだと思う。僕にとっては、やはり子供時代に目にした資生堂の広告のモデルさんという印象が強い。また映画に出演している彼女も、いくつかの作品で目にしている。鈴木清順監督の『ピストルオペラ』(2001)や木村威夫監督の『馬頭琴夜想曲』(2007)はリアルタイムで観ている。『馬頭琴〜』は彼女の遺作であり、この映画の公開直後に彼女は亡くなっているのだ。でもこの頃の彼女は、映画の中に「伝説のモデル」が出ているという感じだった。映画に出演はしていても、彼女は女優ではない。では彼女は何者だったのか。ダンサーか。マルチアーティストか。コラムニストか。デザイナーか……。今回この映画を観ていると、彼女は本人が言うところの「小夜子さん」としての人生を生きたように思える。山口小夜子は他の誰とも違う、山口小夜子としての生き方を貫いたのだろう。
ショウゲート試写室にて
配給:コンパス 宣伝:ビーズインターナショナル
2015年|1時間37分|日本|カラー|16:9
公式HP: http://yamaguchisayoko.com/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt4955032/