乱[4Kデジタル復元版]

第28回 東京国際映画祭  日本映画クラシックス

フォルマリスト黒澤明の最高傑作!

乱

 戦国乱世の時代。近隣に並ぶ者なき武将一文字秀虎も齢七十となり、家督を長男太郎に譲って隠居することに決めた。弟の次郎と三郎にも太郎を助け、兄弟3人で一文字家を盛り立ててほしい。自分は大殿として太郎を後見し、今後は悠々自適の余生を送るつもりだ。だが三郎はこれを「弱気になった老人の妄言」と切り捨てる。親の身を思っての意見だったが、秀虎はこれに激怒し三郎を追放してしまった。三郎は隣国の藤巻氏に匿われることになる。だが隠居した秀虎には、思いもかけないことが起きる。一家の頭領となった太郎は妻の楓に言われるがまま、秀虎を粗略に扱うようになったのだ。ブライドを傷つけられた秀虎は次郎のいる二の城に向かうが、次郎もまた体よく父を追い払ってしまう。行き場を失った秀虎は三郎を頼ることも考えたが、やはりプライドが邪魔して動けない。少数の家来と女たちを連れた秀虎は結局三の城へ。そこに太郎と次郎の連合軍が襲いかかる。

 黒澤明が『影武者』(1980)に続いて撮った大作時代劇で、シェイクスピアの悲劇「リア王」が物語の下敷きになっている。『影武者』はカンヌ映画祭でパルムドールを受賞しているが、僕はこの『乱』のほうが映画としては出来がいいと思っている。黒澤明はリアリズムを追究した映画監督だと思われているが、じつは徹底したフォルマリスト(形式主義者)であることがこれほどよくわかる作品はない。人物配置も、芝居も、台詞も、すべてが舞台劇のように大げさで上滑りしており、まったく映画らしいリアリティが感じられないのだ。主演の仲代達矢もこの映画の中では、あえて新劇風の芝居をしているように見える。道化の狂阿弥を演じたピーターの芝居も上ずっていて、時折発する警句風の決め台詞はシェイクスピアの翻訳劇からそのまま抜き出したような落ち着きのなさだ。時代劇には荒唐無稽な台詞も大いにありだが、『乱』の台詞はいかにも白々しすぎると思う。

 映画祭の資料では本作を「黒澤明監督晩年の最高傑作」と評しているが、カラー時代になってからの作品で1本だけと言われれば、僕もこの作品を代表作としてあげると思う。だがこの映画にはやや二番煎じの匂いがする。物語は「リア王の」のはずだが、妻の楓にそそのかされて破滅していく太郎や次郎の姿は、同じようにシェイクスピアを翻案した『蜘蛛巣城』(1957)に似ているのだ。楓は『蜘蛛巣城』の浅茅(マクベス夫人)の生まれ変わりであり、その悪をより徹底した姿ではないだろうか。劇中に登場する小振りの甲冑や、鶴丸(野村武司=野村萬斎)が演じる能の衣装や所作も『蜘蛛巣城』にあったアイデアだった。三の城落城の場面で見せる死屍累々の地獄絵図も、『蜘蛛巣城』で三船敏郎が射殺されるシーンの拡大版ではないだろうか。この映画に次郎討ち死にの場面がないのだが、それがあれば本作が『蜘蛛巣城』の焼き直しであることがはっきりしただろう。

神楽座(KADOKAWA富士見ビル)にて
配給:未定
1985年|2時間42分|日本、フランス|カラー|1.85 : 1
公式HP: http://2015.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=219
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt0089881/

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中