神様の思し召し

第28回 東京国際映画祭 コンペティション

息子を洗脳した神父の正体は?

Se Dio Vuole

 心臓外科医のトンマーゾは大の自信家だ。患者の家族から手術の成功を「奇跡です!」と称賛されても、「奇跡じゃない。俺の腕が良かったんだ」と言い返してケロリ。家の中でも当然彼が一番威張っているのだが、その内情は穏やかではない。最近気になるのは、医大生の息子アンドレアが夜な夜な友人と出歩くことだ。息子は同性愛者かもしれない。いや、きっとそうだ。だがアンドレアの口から出たのは、「神学校に行って聖職者になりたい」という決意表明。その場では息子の意思を尊重してみせたトンマーゾだが、無神論者で教会を毛嫌いしている彼の心は「息子が教会に洗脳されてしまった!」という怒りで一杯だ。。その犯人は、息子が通う教会のピエトロ神父に違いない。神父なんて一皮むけば、人間の弱みに付け込むろくでもない連中だ。その実態を暴けば息子も改心すると考えたトンマーゾは、ピエトロ神父の素性を調べる。なんと神父には、犯罪歴があったのだ。

 傲慢で不遜な男が、ひとりの神父に出会って生き方を変えていくというコメディ映画だ。欧米の映画には型破りな神父や牧師が登場する作品がいくつもあるが、この映画に登場するピエトロ神父も多くの観客に忘れがたい印象を残すに違いない。本作はこの神父を、完全に世俗的な価値観で生きている無神論者の男の視点から描いているのがユニークだ。主人公のトンマーゾにとっては、伝統的なカトリック教会も怪しげな新興宗教もまったく区別がない。それは非科学的で、不合理で、矛盾だらけで、およそ普通の知性というものを持つ者なら信じることがあり得ない迷信なのだ。しかしこの映画は「キリスト教信仰の是非」を問うものではない。キリスト教はこの映画の中で、すっかりサブカルチャー化した他の宗教と相対化されているし、ピエトロ神父もトンマーゾに信仰を押しつける事はない。しかしトンマーゾは、ピエトロ神父に感化されて少しずつ変わっていくことになる。

 人間が生き方を変えるとしたら、それは他者との関係性の中からでしかあり得ない。トンマーゾはピエトロ神父と出会って生き方が変わる。本人が意識するかしないかに関わりなく、彼の世界を見る目は変化し、周囲の人との接し方も変わっていく。ここで「その力は結局神に由来するのだ」と主張すればこれは宗教映画になってしまうが、この作品はそこまでは踏み込まずに寸前で踏みとどまる。すべては「神の意志」だと考えるのも勝手だし、そう考えないのも自由だ。この映画はその最後の判断を観客に委ねて、自らは多くを語らない。

 監督のエドアルド・ファルコーネは本作がデビュー作。コメディ映画としてまず一級品のデキなので、誰が観ても楽しめると思う。それまでキリスト教と無縁に生きてきた家族に起きる物語なので、キリスト教の知識がない人が観ても大丈夫。クスクス笑いが絶えず、時には爆笑もあり、最後にホロリとさせて、後味は爽やか。じつに面白い。

(原題:Se Dio Vuole)

神楽座(KADOKAWA富士見ビル)にて
配給:未定
2015年|1時間27分|イタリア|カラー|シネスコ
公式HP: http://2015.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=15
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt4643844/

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