民族の師 チョクロアミノト

第28回 東京国際映画祭 ワールド・フォーカス

インドネシア独立運動の源流となった男の生涯

Guru Bangsa Tjokroaminoto

 1921年、スマトラの刑務所。そこに出頭して取り調べを受けているのは、インドネシア民族運動の指導者チョクロアミノトだ。当時のインドネシアは17世紀以来のオランダ植民地であり、宗主国の役人や商人たちによる過酷な搾取にあえいでいた。チョクロはジャワ人の裕福な貴族の家に生まれ、オランダ式の教育を受けたエリートだ。一度は役所に勤め結婚もするが、オランダ人がインドネシアの人々を人間扱いしない態度に我慢ができず職を辞し、同胞の地位向上のために働く決意をする。最初に取り組んだ仕事は新聞の発行だ。辛亥革命(1911)の影響を受けてインドネシアでも中国系住民の暴動を起こしたとき、これに暴力で対抗しようとするインドネシア人たちをいさめて衝突を食い止めたのもチョクロだった。この話を聞きつけたイスラム商業組合はチョクロに代表就任を打診。複数の組織が合流する形で、1913年に民族運動組織・イスラム同盟が成立する。

 インドネシアのオランダからの独立については、第二次大戦後に起きた独立戦争と、その後初代大統領になったスカルノのインドネシア国民党がよく知られている。インドネシア国民党の結成は1927年なのだが、この映画で描かれたイスラム同盟はその一世代前の民族組織。映画は1895年のチョクロ少年時代から物語がはじまるが、中心になるのは1910年代だ。この頃のインドネシアは、まだ「インドネシア」という国の名前さえなかった。そこは「オランダ領東インド」であり、人々は多くの島々で、多くの民族に分かれて暮らし、原住民、華人、オランダ人、アラブ人、それらの混血など、雑多な人々がひしめき合っていた。イスラム同盟はこれらを宗教を軸にして、ひとまず大きな大衆運動としてまとめ上げて行ったのだ。チョクロアミノトはその立役者であり、彼がいなければイスラム同盟の拡大はなく、その後の独立運動の高まりもなかったかもしれないと思う。

 映画はチョクロアミノトの人生を、政治家としての公的領域と、夫婦関係を軸にした私的領域の両面から描いていく。劇中のチョクロはどちらの面でも理想的で立派な人格者であり、人間的な面白味には欠ける。しかし当時の激変する世界情勢が、インドネシアの民族運動にも大きな影響を与えるのだ。ひとつは1914年に起きた第一次大戦。これにより貿易大国だった宗主国オランダの国力は衰え、民族運動の立場が強化されることになる。もうひとつは1917年に起きたロシア革命。イスラム同盟内でも「革命なくして真の社会変革なし」と主張する急進派が勢力を伸ばし、急成長した組織は内部から分裂の危機に陥るのだ。映画は2時間41分の大作だが、さまざまな要素が詰め込まれて、まるで歴史年表を見ている気分。それでもあちこちに歴史の表舞台に立たない無名の人々のエピソードを入れるなど、脚本の構成はよく工夫されている。じつに見応えのある作品だった。

(原題:Guru Bangsa Tjokroaminoto)

TOHOシネマズ六本木ヒルズ(スクリーン4)
配給:未定
2015年|2時間41分|インドネシア|カラー、モノクロ|シネマスコープ
公式HP: http://2015.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=149
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt4713884/

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