神なるオオカミ

2016年1月12日(火)公開予定 ヒューマントラストシネマ渋谷

人間は自然を意のままに従えることができるか?

神なるオオカミ

 文化大革命の熱狂が中国全土を覆っていた1967年。都市部の大学生を地方農村に送って貧しい人たちの教育に当たらせる下放政策で、北京の大学生チェンとヤンは内モンゴル行きを希望した。胸躍らせてたどり着いたのは、見渡す限りの青草が生い茂る大平原だった。農村で子供たちの教師になるはずが、チェンにとって昔ながらの素朴な遊牧民の暮らしはあまりにも魅力的だった。中でも彼を魅了したのは、モンゴルの人々が神の化身として恐れるオオカミたちの姿だった。集団で狩りをする彼らの姿は、まさに草原の王者。チェンは「春になったらオオカミの子を捕らえて飼ってみたい」と願うが、まさかその機会が本当に訪れるとは! しかしオオカミを捕らえて飼い始めたチェンを、部族の長老は「神を捕らえて奴隷にしてしまった」と諌めるのだった。ちょうど同じ頃、昔と変わらぬモンゴル族の暮らしも、中国が目指す近代化の影響によって大きく変わろうとしていた。

 日本でも翻訳出版されている姜戎(ジャン・ロン)のベストセラー小説「神なるオオカミ」を、ジャン=ジャック・アノー監督が映画化したフランスと中国の合作映画。アノー監督は『愛人/ラマン』(1992)や『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997)など中国がらみの映画を何本か撮っているし、『小熊物語』(1988)や『トゥー・ブラザーズ』(2004)など動物映画も得意なので、今回の映画にもまったく違和感がない。映画の見どころはモンゴルの壮大な風景と、その中を我が物顔で疾走していくオオカミたちの姿。現在内モンゴルの草原は砂漠化が進み、やせ衰えた草原地帯ではオオカミたちが害獣として駆除され数を減らしている。この映画は内モンゴルの草原地帯に残っていた伝統的な暮らしが、「近代化」によって滅んでいく様子を描いている。オオカミと共に遊牧民の暮らしも消え去る。オオカミはそうした「滅びゆく暮らし」の象徴なのだ。

 主人公チェンは一筋縄では行かない複雑なキャラクターだ。彼はモンゴル族の暮らしを崇拝し、その喪失を悲しむ若者だが、その彼がモンゴル族の伝統的な暮らしを破壊する最初の引き金を引くのだ。ものがたりの中でオオカミは草原の自然やそれと一体化して暮らすモンゴル族の伝統を象徴しているわけだが、チェンがオオカミの子を捕らえて飼い慣らそうとするエピソードは、彼がモンゴルの自然や人々の暮らしを管理しようとする側の人間であることも意味している。映画でわかりやすい悪役として登場するのは、中国政府の手先として働く主任の男だが、彼がしばしばチェンの味方をするのは、彼とチェンがじつは同じ立場の人間であることの証拠なのだ。人間は自然を手なずけようとした。出し抜こうとした。利用しようとした。そして手痛いしっぺ返しを受けた。しかしその時はすでに、自然は失われて二度と戻ってくることはない。映画の中の話ではない。日本も同じだ。

(原題:狼图腾 Wolf Totem)

映画美学校試写室にて
配給・宣伝:ツイン
2015年|2時間1分|中国、フランス|カラー|2.35:1|ドルビーデジタル
公式HP: http://aoyama-theater.jp/feature/mitaiken2016
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt2909116/

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