母と暮せば

12月12日(土)公開 丸の内ピカデリーほか全国ロードショー

戦争は母からすべてを奪った

母と暮せば

 昭和20年8月9日。長崎に投下された原爆で、長崎医科大学の学生だった福原浩二は死んだ。それから3年目の夏。母の伸子は浩二の婚約者だった町子に、自分はようやく浩二の死を受け入れたと語る。一片の骨も、一片の服の切れ端も残さず、原爆の炎の中で消えてしまった息子。だめだとわかっていても、ひょとしたらまだ生きているのではないかと希望を捨てられずにいた。だがその希望はもう捨てる。浩二は死んだのだ。病気で早くに夫を亡くし、上の息子も戦死し、次男の浩二も原爆に奪われ、仏壇には家族3人の遺影が並ぶ。伸子は家の中にひとりきりだ。だがその夜、伸子のもとに死んだ浩二がひょっこりと戻ってくる。「母さんは変わりない?」「わたしは大丈夫。あなたは元気なの?」「はははは。母さん、僕はもう死んでるんだよ」。浩二はその後もたびたび伸子の前に現れ、母の暮らしの心配、昔の思い出話、残された町子への思いなどを語り合うようになる。

 山田洋次監督が井上ひさしの戯曲「父と暮せば」(1994年初演)の姉妹編として作った、戦争と家族についてのドラマだ。「父と暮せば」は2004年に黒木和雄監督が映画化し、僕はそれを観ている。原爆投下から数年後の広島を舞台に、ただひとり生き残った若い女性が原爆で死んだ父と語らいながら、やがて新しい生活へと踏み出して行く物語だった。井上ひさしは長崎を舞台に「母と暮せば」という作品を書きたいと言いながら亡くなってしまい、井上ひさし本人が「母と暮せば」を書く機会は失われた。今回の映画は「母と暮せば」というタイトルと、長崎が舞台になるというアイデアだけ借りて、山田洋次監督と平松恵美子がオリジナルの脚本を書いている。主演は吉永小百合と二宮和也。浩二の婚約者だった町子を黒木華が演じ、何かと伸子の生活の世話を焼く中年男に久々の映画出演となる加藤健一。浅野忠信の出演は、映画版『父と暮せば』へのオマージュかな?

 『母と暮せば』は脚本の構成や演出に映画ならではの表現技法をふんだんに盛り込むことで、舞台劇である「父と暮せば」とは別の世界を作っている。幽霊になった浩二が現れたり消えたり、姿が見えない透明人間のようになったり……というのはわかりやすい演出。しかし映画的表現としてより大きいのは、現在進行形の物語に過去のエピソードが短くインサートされる部分だ。これを舞台劇で再現するのは難しい。ただしこうした回想シーンの挿入が、映画のプラスになったかどうかはわからない。母子ふたりの濃密な関係が生み出す緊張感が、これらの映像の挿入でガス抜きされてしまうようにも感じるのだ。母と子が共有する「ふたりだけの世界」に観客が第三者として介入することで、「ふたりだけの世界」は溶けて消えてしまう。もしこの映画を舞台化することがあれは、これらのシーンはすべて「登場人物の語り」で処理した方がいい。その方が、ラストが生きると思う。

楽天地シネマズ錦糸町(シネマ3)にて
配給:松竹
2015年|2時間10分|日本|カラー|ビスタサイズ
公式HP: http://hahatokuraseba.jp
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt4287852/

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