サーミ・ブラッド

日本公開予定

少女が故郷を捨てた理由

サーミ・ブラッド

 スウェーデンの都会で暮らす年老いたクリスティーナのもとに、妹のニェンナが亡くなったという知らせが届く。クリスティーナは子供たちに後押しされて、気乗りしないまま数十年ぶりに故郷であるサーミの村に戻る。彼女が村を離れたのは、まだ十代の頃だった。彼女はそれ以来サーミ人のエレ・マリャという名を捨て、クリスティーナとして生きてきたのだ……。1930年代。14歳のエレ・マリャは妹や他の子供たちと一緒に故郷の村を出ると、スウェーデン人教師が教える寄宿学校に入学した。学んだのはスウェーデン語の会話と読み書き、歴史、地理、キリスト教など、スウェーデン人としての基礎科目だ。エレ・マリャの成績は優秀で、教師も彼女を大いに気に入り目をかけるようになる。だが彼女はやがて思い知らされる。サーミ人はスウェーデン人に比べて野蛮で知能の劣る下等人種と見られており、どれだけ勉強しても上級の学校には進学できない決まりだった。

 サーミ人は北欧のラップランド(スカンジナビア半島北部やコラ半島を含む地域)に暮らす先住民で、かつては「ラップ人」と呼ばれていた人たちだ。ただし「ラップ人」は他地域の先住民である「エスキモー」や「インディアン」などと同じく蔑称の意味合いがあるため、現在は「サーミ人」と呼ばれるようになっているようだ。映画の中ではスウェーデン人が主人公を「ラップ人」と呼ぶ場面があるが、そこには常に「自分たちより一段劣った人」という意味合いが込められている。この映画はサーミ人として生まれた少女が、自分の身に降りかかっている社会的差別から抜け出すために、自らの民族的な出自を隠して生きるに決意をするという物語だ。それはまだ十代の少女が、故郷を捨て、肉親を捨て、名前を捨て、たったひとりで生きていくことを意味する。だが彼女にはそれ以外に道がなかったのだ。それを観客に十分納得させる脚本は、説得力があるだけにひどく残酷だ。

 映画を観ていて一番悲しくなるのは、主人公のエレ・マリャが社会的な差別を内面化していくことだ。「ラップ人は知能が劣る」と言われると、彼女は実際にそういうものだと感じてしまう。自分は学業成績も優秀だが、それはある種の突然変異みたいなもの。自分以外のサーミ人は、みんな頭が悪くて怠惰な人たちだ。こうした差別の内面化を象徴するのは、久しぶりに戻って来た故郷で彼女が体を洗う場面だろう。「どうして雪解け水で体を洗うの? 冷たいでしょ?」と妹に問われたエレ・マリャは、「洗わないと臭いのよ」と答える。「臭くなんかないわよ」「自分ではわからなくても、臭いのよ」。彼女はこうして「サーミは臭い」という差別的な評価を自分の中に引き受けていく。彼女はサーミ人であることをやめることで、スウェーデン人になれるわけではない。彼女はサーミ人であることをやめて、何者でもない根無し草の人間になってしまう。差別が生み出す悲劇だ。

(原題:Sameblod)

第29回 東京国際映画祭(コンペティション)
TOHOシネマズ六本木ヒルズ(スクリーン6)にて
配給:アップリンク
2016年|1時間52分|スウェーデン、デンマーク、ノルウェー|カラー
公式HP: http://2016.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=23
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt5287168/

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