この世界の片隅に

11月12日(土)公開予定 テアトル新宿ほか全国ロードショー

それでも人は今日を生きるのだ

この世界の片隅に

 昭和19年2月。広島の江波で生まれ育った浦野すずは、呉の北條周作に嫁いで北條すずになった。物資や食糧の不足はあっても、この時点で戦争はまだどこか遠い世界の出来事だ。警報は鳴っても空襲はない。それより問題なのは、北條家に義姉の径子が幼い娘の晴海を連れて出戻って来たこと。はっきりとした物言いの径子と、おっとり型のすずは性格がまるで正反対。径子はことあるごとに、すずにイヤミめいた口のきき方をする。だがこうした日常の些事も、逼迫してくる戦時下の生活の中に埋もれていくのだ。呉の上空に飛来した敵機が、気まぐれな機銃掃射をして行くのに似ている。花街の遊女リンとの出会いや、幼なじみの水兵・哲との再会も、そうした些細な日常の一コマに過ぎない。しかし昭和20年春からは、軍港である呉もしばしばひどい空襲を受けることになる。5月には、夫の周作が海軍軍人に任官。義父の円太郎は、広海軍工廠の空襲で行方不明になった。

 こうの史代の同名コミックを、『マイマイ新子と千年の魔法』(2009)の片渕須直監督が映画化した長編アニメーション作品。クラウドファンディングでの資金集めや、主人公すすの声を、のんこと能年玲奈が担当したことも話題になった。のんの声は不安定で頼りない部分があるし、それが周囲のベテラン声優陣の中で余計に拙さが目立っている。しかしこれが、すずというキャラクターにはびったりはまっているのだ。すずもたったひとり、生まれ故郷を離れ、家族と離れて北條家に嫁ぎ、周囲はみんな他人という孤立した境遇にある。これが物語の終盤では大きな意味を持つのだが、映画はそれを声優のキャスティングで巧みに表現していると思う。原作にあり、映画でも取り上げられている、すずと哲の再会にまつわるエピソードも、のんの声を得て説得力のあるものになった。周囲が時代に流されておかしくなっていく中で、すずだけは終始周囲から少しずれているのだ。

 戦争末期の庶民の暮らしを緻密に紹介していた原作に対し、映画はより詳細に生活を再現していく。原作が虫眼鏡だとしたら、映画は顕微鏡ぐらいの解像度の違いだ。しかしこの映画はそうした「戦時風俗紹介」が目的ではなく、その中にある「庶民と戦争の関わり」がテーマなのだ。ここには戦争賛成の声もないし、戦争反対の声もない。日常の中に、ごく当たり前の風景として戦争があるのだ。物資は欠乏する。生活の締め付けは激しくなる。周囲には戦死者を出した家族もある。そうした中でごく当たり前のように、戦争を当たり前の風景として受容していく庶民の暮らしぶり。戦争という究極の非日常は、戦争の時代には非日常ではなく日常そのものになる。昭和20年8月15日の敗戦は、そうした庶民の日常を突然終わらせてしまうのだ。だが人々はそうした混乱さえ、また日常の中に飲み込んでいく。この映画は、そんな「庶民の日常」の大らかな力強さを信頼している。

伏見ミリオン座(ミリオン1)にて
配給:東京テアトル
2016年|2時間6分|日本|カラー|ビスタサイズ
公式HP: http://konosekai.jp
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt4769824/

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)
こうの 史代
双葉社
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