アイヒマンを追え ナチスが最も畏れた男

1月7日(土)公開 Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー

ナチス高官アイヒマン逮捕の舞台裏

アイヒマンを追え ナチスが最も畏れた男

 1950年代後半のドイツ・フランクフルト。自宅の風呂場で眠りこけた検事長のフリッツ・バウアーは、浴槽で溺死する寸前に運転手に救出されて病院に搬送される。命に別状はなく、1週間後には仕事に復帰するバウアー。だが表向き彼に見舞の言葉をかけながら、彼が死ななかったことを残念に思う者たちも多い。戦後12年で目覚ましい復興を遂げたドイツだが、政府や官公庁の主要ポストに座っているのはかつてのナチス幹部たちなのだ。彼等の旧悪は隠蔽され、罰せられることはない。そんな中で、ナチスの高官たちを追うバウアーの捜査は厄介な存在なのだ。ひとりのナチス高官の逮捕で、他の元幹部たちまでが芋づる式に検挙される可能性がある。そんなわけで、バウアーは他の検事たちの妨害や、有形無形の脅迫にさらされているのだ。そんな彼のもとに、アルゼンチンから1通の手紙が届く。それは逃亡中のナチス高官アドルフ・アイヒマンについての情報だった。

 戦後のドイツと日本を比較して、「ドイツ人は自国の戦争犯罪について積極的な追及を行ったが、それに比べて日本人はダメだ」という評価が行われることは多い。確かにそうした面もあるだろう。ひとりの日本人として、その点について残念な思いもある。だがここで「ドイツ人」とか「日本人」という比較をするのが、そもそも間違いなのかもしれない。自国の過去の好ましくない歴史を隠したいと思うのは、洋の東西を問わぬ人間の自然な感情だ。ドイツ人だって、ナチス時代の犯罪を積極的に告発して裁きたいと思っていたわけではない。告発する相手は、自分たちの父であり、親戚であり、同僚であり、ご近所であり、場合によっては自分自身だったのだ。だからドイツ人も、ほとんどの人たちは「臭いモノにふた」という態度を決め込んだ。ナチスの残党には目をつぶり、場合によっては匿い、逃亡を手助けし、過去の歴史を封印しようとしたのだ。日本と何も変わらない。

 ドイツ人がナチスの罪と向き合うようになったのは、本作の主人公フリッツ・バウアーを筆頭とするごく少数の人たちが周囲の抵抗や圧力にも負けず戦い抜いたからなのだ。だから日本とドイツの過去との向き合い方の違いは、「日本人とドイツ人」の違いではないのかもしれない。日本にはフリッツ・バウアーがいなかった。それが日本とドイツの戦後を大きく変えたのだ。個人の力や個人の戦いが、一国の歴史を大きく変えることがある。これは組織の中で「個の無力さ」を感じている人たちにとっては、ちょっとした希望ではないだろうか。なにしろ個人の熱意が、ドイツ一国の評価を変えてしまうほどの成果を生み出したのだから。映画はアイヒマン逮捕で終わっているが、この後に続くアイヒマン裁判については『ハンナ・アーレント』(2012)、アウシュヴィッツ裁判については『顔のないヒトラーたち』(2014)が詳しく取り上げている。戦後ドイツの転換点だ。

(原題:Der Staat gegen Fritz Bauer)

伏見ミリオン座(ミリオン2)にて
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
2015年|1時間45分|ドイツ|カラー|シネマスコープ|DCP5.1ch
公式HP: http://eichmann-vs-bauer.com/
IMDb: http://www.imdb.com/title/tt4193400/

フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事総長
ローネン・シュタインケ
アルファベータブックス
売り上げランキング: 302,666

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中