教誨師

10月6日(土)公開 有楽町スバル座ほか全国公開

俳優大杉漣の最後の主演作

 佐伯保は教誨師だ。本業はプロテスタント教会の牧師だが、地域の拘置所で刑の執行を待つ死刑囚と話をするボランティアをしている。外部との面会が厳しく制限されている死刑囚たちにとって、教誨師の佐伯は数少ない外部との接点。佐伯が担当している死刑囚たちは、一癖も二癖もある人たちばかりだ。教誨師との面談を望みながら、ほとんど一言も言葉を発しない人もいれば、とりとめの無い雑談を延々と続けるものもいる。共通しているのは、そこにクリスチャンなどひとりもいないこと。佐伯は死と向かい合う死刑囚たちに何とかして聖書や神の言葉を伝えようとするが、その意欲が空回りすることも多い。時には死刑囚の言葉に心を揺り動かされることもあれば、彼らの言葉に翻弄され振り回されることもある。元暴力団組長からの意外な告白にドギマギし、青年死刑囚の言葉に追い詰められ動揺することもある。ある日佐伯に、拘置所の担当者から重大な知らせが届く。

 今年2月に亡くなった大杉漣最後の主演映画であり、長い俳優生活の中で唯一のプロデュース作品となった作品だ。主人公が牧師という映画は日本では珍しいし、物語の舞台がほとんど拘置所の面談室内で完結しているという構成もユニーク。大杉漣が全体のまとめ役として抜群の存在感を放っているのは言うまでもないが、死刑囚を演じた役者たちも芸達者な人たちばかりで見応えがある。特に烏丸せつこは素晴らしかった。ペラペラと関西弁で無駄話をまくし立てているオバチャンが、いきなり豹変して「人殺し」としての素性の片鱗を見せる場面にはゾッとさせられた。人当たりのいい元ヤクザ組長を演じる光石研は安定感があるし、突然キャラクターの底が抜ける古舘寛治には啞然とさせられる。ベテランの五頭岳夫が登場するエピソードは、この映画で一番ホッとさせられるものだろう。そして本作で一番の注目は、主人公を追い詰める青年死刑囚を演じた玉置玲央だと思う。

 映画は死刑囚たちが具体的にどのような罪を犯したのかを、ほとんど説明していない。劇中で自らの罪を告白する人もいるし、会話から犯行内容が察せられる人もいるが、ここで描かれているのは「生きる者」と「死ぬ者」の対比なのだ。主人公の佐伯は「生きる者」の側にいて、死刑囚たちは「死ぬ者」の側にいる。しかしそれを隔てているのは、面談室のひとつの机に過ぎない。映画の中盤では佐伯と拘置所の所長が面談するが、そこで所長が「先生といると私が死刑囚になった気分になる」と言うが、それがまったく間違いであることに観客は気づくだろう。なぜならいつもは死刑囚が腰掛ける場所に佐伯が座り、所長は佐伯の位置にいるからだ。彼の立場はここで「生きる者」から「死ぬ者」へと逆転する。映画の中で生と死の立場の違いは、記号的に描かれるだけだ。そしてこの記号性が、生死の境界線をきわめて曖昧なものにする。生と死、罪とは何かを、映画は問うのだ。

中川コロナシネマワールド(シネマ9)にて
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
2018年|1時間54分|日本|カラー|スタンダード
公式HP: http://kyoukaishi-movie.com/
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt9110514/

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