パウロ 愛と赦しの物語

11月3日(土)公開 ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー

ひたすら地味で、暗く、つまらない

 西暦67年のローマ。ネロ帝は数年前に起きた大火の責任を、当時帝国内に目立ちはじめたキリスト教徒になすりつけ、市内では大規模なキリスト教徒の弾圧が行われていた。ローマ滞在中の使徒パウロも、放火の首謀者として囚われの身。だが今や処刑を待つばかりの彼を、かつて旅を共にした医者ルカが訪ねてくる。最後にパウロの旅と信仰の記録を聞き取って書き写し、迫害の中で苦しむ各地のキリスト教徒たちに伝えるためだ。看守に賄賂を渡し、命がけでパウロの牢獄を訪ねるルカ。だがこのことは、獄舎の長官であるマウリティウスにもすぐ知られてしまう。彼には娘があり、今は重い病に苦しんでいる。だが「ルカは優秀な医者だ。彼なら娘を治せる」と言うパウロの言葉に、マウリティウスが耳を貸すことはない。キリスト教徒の助けを借りることで、ローマの神々の怒りを招くことを恐れているのだ。だが娘が危篤状態になったとき、彼はついにルカに助けを求める。

 聖書の読者にとって、使徒パウロやルカはお馴染みの名前。劇中でローマのキリスト教徒たちのリーダーになっているアキラとプリスカも、パウロの手紙や使徒言行録に登場する実在の人物たちだ。映画は1世紀後半にローマで行われた大規模なキリスト教徒迫害を描いている点で、『クォ・ヴァディス』(1951)の別バージョンのような趣向。ただし歴史スペクタクル映画としての面白味は皆無で、波瀾万丈の生涯を送ったパウロの伝記映画としても、これといった見せ場はゼロだろう。聖書や史実に忠実かもしれないが、創作の部分も多くて中途半端。映画の中でキリストの奇跡が起きるとか、誰かが劇的な回心をするといった、古典的な宗教映画としての描写もない。これは作り手の狙いではあるのだろうが、映画としてのドラマチックな魅力には乏しい。物語は最初から最後まで迫害され虐げられるキリスト教徒の姿を描いていて、観ていても憂鬱な気分になってくるばかり。

 脚本の構成で一番不可解なのは、ローマ人の監獄長マウリティウスの扱いだ。彼は「キリスト教の迫害者から理解者に転じる」という点で、かつてのパウロの後継者なのだ。劇中ではパウロがキリスト教の迫害者であった時代の話も出てくるので、この回心の物語とマウリティウスの転向を重ね合わせれば、これはちゃんとした宗教映画になっただろう。でも映画はそうしない。マウリティウスの物語は「迫害する者すら愛するキリスト教の隣人愛」というエピソードになっただけで、映画の最後にこれといった成果を出さないままパウロは処刑され、キリスト教徒たちはローマから命からがら逃げ出していくのだ。もちろん映画を観る人は、この数百年後にローマがキリスト教に屈服する歴史的な事実を知っている。だがそうした「キリスト教の勝利」は映画の中に描かれず、その兆しさえ見えない。この映画を観て、観客はどこに感動するのだろうか。ちょっと理解に苦しむ作品だ。

(原題:Paul, Apostle of Christ)

名演小劇場にて
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2018年|1時間46分|アメリカ|カラー
公式HP: http://www.paul-love.jp/
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt7388562/

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