この道

1月11日(金)公開 TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

盟友山田耕筰が語る北原白秋の実像

 昭和27年。小田原で開催された「北原白秋 没後十周年記念コンサート」で、白秋とのコンビで多数の歌曲を作った作曲家の山田耕筰が指揮棒を振っていた。コンサート終了後、記者から白秋についての思い出を尋ねられた彼は、「あんなひどいやつはいない」と言いながら、若き日の白秋と自分自身の関わりについて語り始める……。山田と白秋が出会ったのは、「赤い鳥」の鈴木三重吉の紹介によるものだった。「あなたの詩に曲を付けてより豊かなものにしたい。新しい日本の歌曲を作りたい」と熱く語る山田だったが、「僕の詩に何か加えるなんて許さない。僕の詩はそれだけで完璧な芸術なんだ!」と白秋は共作に興味を示さない。だが大正12年の関東大震災に打ちひしがれる人々の姿を見て、白秋の気持ちは共作に傾く。音楽には詩にはない力があると思ったのだ。大正14年。二人が作詞作曲した「からたちの花」が、日本初のラジオ放送で演奏されることになった。

 詩人の北原白秋(1885〜1942)の伝記映画で、彼の生涯を作曲家・山田耕筰(1886〜1965)の視点から描いていく構成だ。ただしこのモチーフをこの構成で描くのは問題がある。山田耕筰が白秋と出会うのは「赤い鳥」が創刊された大正7年以降のことなのだが、映画はそれ以前の白秋の不倫や姦通罪での逮捕、不倫相手との結婚と破局など、山田耕筰が知らない明治期の話からスタートするからだ。山田耕筰を語り手にするなら、少なくとも語り出しは山田と白秋の出会いのきっかけからはじめるべきで、それ以前の出来事を紹介するのは、また別の語り手を立てればよかったのだ。この映画は記者が白秋ゆかりの人に話を聞くという構成なのだから、『市民ケーン』(1941)のように複数の証言者から白秋にまつわる話を聞けるはずなのだ。昭和27年なら、白秋の最初の妻・俊子も、三番目の妻・菊子も存命だった。室生犀星や高村光太郎も生きているのだ。

 白秋を演じた大森南朋は、この役に十分乗り切れているように見えない。特に感情豊かで子供じみた部分がある、青年時代の白秋を演じた部分には無理を感じた。出版記念パーティーで与謝野鉄幹の祝辞に感激して泣き出す場面などは、観ていて白々しい気分にさえなる。白秋の人となりを感じさせるエピソードなのかもしれないが、劇映画としては作り方に何らかの工夫が必要だったのではないだろうか。一方で、山田耕筰を演じたAKIRAは悪くない。しかしこれは、物語が山田の内面にあまり踏み込まず、単なる語り手の立場に置いていたからかもしれない。この「割り切り」が功を奏した。スラリと背が高い痩せ形の山田と、ずんぐりした体型の白秋が並んで歩くだけで、きちんと絵になるのだ。二人が「からたちの花」や「この道」を共作する場面は、音楽伝記映画に固有のフィクションだとわかっていても悪くない場面だ。この二人の並んだ姿を、もっと観ていたかった。

ミッドランドスクエアシネマ2(シアター10)にて
配給:HIGH BROW CINEMA
2019年|1時間45分|日本|カラー
公式HP: https://konomichi-movie.jp/
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt9010668/

この道
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