ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ <ディレクターズ・カット>

2月15日(金)公開 午前十時の映画祭9

報われない愛に生きた男の物語

 1933年のニューヨーク。仲間を裏切って殺し屋に追われるヌードルスは、相手を出し抜いて何とか街を抜け出すことに成功する。だが駅のロッカーに隠していた金は、古新聞の束にすり替えられていた。誰かが金を盗んだのだ。追っ手が迫る中で、今から犯人探しをする暇はない。彼は行くあてもないまま、子供時代から過ごした街を後にする。十数年前、ユダヤ人街の不良少年だったヌードルスと仲間たちは、地元ギャングの下働きをして小銭を稼ぐ毎日だった。そんな中で出会ったのが、ブロンクスから越してきたマックスという少年。ヌードルスとマックスは親友になり、仲間たちと共にいっぱしのギャングに成長して行く。敵対するギャングを殺して刑務所に入ったヌードルスが12年後に出所したときも、出迎えたのは親友のマックス。ヌードルスの留守中、仲間たちは酒の密売で大金を稼いでいた。ヌードルスはマックスの相棒として、再び暴力の世界に身を投じていく。

 マカロニ・ウェスタンの巨匠セルジオ・レオーネの遺作であり、現在ではギャング映画の古典とされている作品。僕はこれを最初の日本封切り時に観ているはずだが、その時の上映時間は3時間25分。今回観た「ディレクターズ・カット」は、レオーネ監督が公開後に再編集した「完全版」に、監督の死後、さらに未公開シーンを付け加えた最終バージョン。途中で画質が明らかに劣る場面が挿入されているのは、残っていた素材がそれしかなかったためだ。(サウンドトラックは別に保管されていたのか、あるいは素材をうまく修復できたのか、こうした挿入シーンでも音声は明瞭だ。)初公開時には自分の年齢や映画経験の少なさもあってわかりにくく感じた物語だが、今回改めて観ると難しいところはひとつもなかった。これは中国の故事「一炊の夢」みたいな話なのだ。すべては阿片窟の中でまどろむ、主人公ヌードルスの思い出の中に回収されていく。すべては夢幻なのだ。

 ギャング映画の形式を取ってはいるが、これはヌードルスとマックスの友情の物語だ。友情といっても、ただの友情ではない。多分に同性愛的な要素を持つ、男と男の絆の物語なのだ。僕は最初にこの映画を観たとき、なぜマックスがヌードルスを裏切るのかが理解できなかった。でも今はわかる。マックスはヌードルスが好きなのだ。好きで好きでたまらない。心の底から、彼を愛しているのだ。でもその「好き」という気持ちを自分でもきちんと整理できない。だからマックスはヌードルスとデボラの関係を邪魔するし、ヌードルスがレイプしたキャロルを愛人にする。ヌードルスから仲間を奪い、金を奪い、名前を奪い、最後は恋人も奪う。彼はヌードルスの全てを手に入れたいのだ。そしてすべてを奪ったことと引き替えに、最後は自分自身の命を彼の前に差し出してみせる。この映画は彼の「純愛」に翻弄される人々の物語。全てを求めた男は、最後にすべてを破壊し尽くす。

(原題:Once Upon a Time in America)

ミッドランドスクエアシネマ(シアター7)にて
主催:川喜多記念映画文化財団、映画演劇文化協会
1984年|4時間11分|イタリア、アメリカ|カラー|ビスタサイズ|モノラル
公式HP: http://asa10.eiga.com/2018/cinema/827.html
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt0087843/

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