さよなら、退屈なレオニー

6月15日(土)公開 新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

大きな事件の起きないリアルな青春映画

 高校卒業を間近に控えたレオニーは、いつも周囲に馴染めない気分を味わっている。学校の友人たちと一緒に騒いでいても、特に楽しいわけじゃない。母親の再婚相手は地元ラジオ局の人気DJだが、そのことも気に食わなければ、そのことでクラスメートたちからからかわれるのも我慢できない。大人は嫌いだが、自分と同年配の高校生はまるでガキに見えてしまう。そんなレオニーが出会ったのは、自称ギター教師のミュージシャン、スティーブだった。彼女は質屋で中古のギターを買い求め、スティーブが年老いた母親と暮らす自宅兼ギター教室に通い始める。ギターに興味があるわけでも、上手くなりたいわけでもない。地味な反復練習が、面白いわけでもない。でもスティーブと一緒にいれば、暇つぶしにはなる。そんなレオニーにとって唯一の信頼できる大人。それは離れて暮らす父だ。元組合幹部だった父は、工場閉鎖後に母と離婚して、今は遠い土地で暮らしていた。

 特にこれといった大事件の起きない、思春期少女の「一夏の物語」だ。こうしたテーマの映画ではしばしば性の問題が主要モチーフとして取り上げられることもあるが、この映画ではそれを取り上げることなく、ひとりの少女の心理と成長を巧みに描くことに成功していると思う。ただしそれで、面白い映画になっているわけではない。小さなエピソードを淡々とつなげて行っても、大きなドラマが生まれないのだ。映画に登場する大事件は、主人公が継父の自動車をバットでぶっ叩くぐらいのこと。これも車体が少しデコボコになるぐらいで、車が派手にぶっ壊れるわけじゃない。主人公をとりまく人間関係も、特に新しい何かが始まったり壊れたりするわけじゃない。唯一の例外はスティーブ。彼だけが、レオニーの生活の中に新たに登場する人物。彼の暮らしには大きな事件が起きて生活が変化するが、それがレオニーの生活に何かの変化を生み出すというわけではなさそうだ。

 地味で冴えない話なのだ。でもその地味で冴えないところが、じつにリアルな青春映画になっている。僕自身は青春映画について、「何者でもない若者が何者かになろうとしてもがく物語」と定義しているのだが、この映画はそうい点で、まさにど真ん中の青春映画だ。レオニーは自分の今の境遇に不満だらけだ。そこから抜け出したいと思っている。でも抜け出すことができないまま、ひたすらジタバタともがき続ける。ここで積極的に「街を出るぞ!」とか「私は○○になるぞ!」という目標を見つけるのも青春映画のひとつの有り様だが、この映画はそうならない。いや、そうなったのかもしれないが、それは観客には明示されない。照明の消えた野球場近くの林の中で、ぼんやりと光を放つホタルが飛び交うように、それは目をこらさないと見つからない。映画の原題は「ホタルはいなくなった」。だがホタルはいないわけではない。いても誰もそれに気付かないだけなのだ。

(原題:La disparition des lucioles)

伏見ミリオン座(ミリオン4)にて
配給:ブロードメディア・スタジオ
2018年|1時間36分|カナダ|カラー|1:1.85|ステレオ
公式HP: http://sayonara-leonie.com/
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt8449092/

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