Girl ガール

7月5日(金)公開 Bunkamura ル・シネマほか全国ロードショー

その気持ちはすごくわかるけど……

 ベルギーの有名なバレエ学校に転校してきた15歳の少女ララ。家族は彼女のために、わざわざ新しい町に引っ越して来た。バレエに対する人並み外れた情熱と才能の片鱗を見せるララだったが、それまで通っていた学校と新しい学校では、生徒に求められる技術のレベルが違う。だがこれに食らいついていかなければ、学校に残ることは出来ないのだ。そんなララには、他の生徒とは違う問題があった。それは彼女がもともとは男の子としてこの世に生まれてきたこと。思春期を迎えて、ララの体は「こども」から「おとなのオトコ」の体へと変化していく。医師の診断でホルモン療法を受け、いずれは性適合手術を受けることになっているが、それを待つ間にもどんどん自分の体が変化しているのがわかるのだ。家族や親戚はもちろん、学校の教師や他の生徒たちも、ララのことを理解してくれている。そのことで差別的な扱いを受けることはない。だがララは満足できないのだ。

 トランスジェンダーの少女が、思春期を迎えて自分の肉体の変化に戸惑い、追い詰められて行く物語。大人なら誰しも「思春期の肉体と心の変化」を通り過ぎてくるわけだが、たいていの人はそれを忘れてしまうと思う。思春期というのは、当事者にとっては嫌なものなのだ。嫌なことは忘れるに限る。しかしこの映画はそれを、観る人に思い出させてしまうに違いない。主人公はトランスジェンダーだが、それを「結局は当事者にしかわからないこと」にしてしまったのでは映画が成り立たない。監督・脚本のルーカス・ドンも、主演のビクトール・ポルスターも、トランスジェンダーというわけではないらしい。しかし彼らはララの物語を、間違いなく「自分の物語」として描き、演じている。同じようにララの物語を「自分の物語」だと感じられる人は、本人のセクシャリティに関わりなく、この映画を「自分の映画」として観ることができると思う。僕はダメだったけど……。

 そう、僕はこの映画にのれなかったのだ。話はわかった。十分に理解できた。ララが追い詰められて行くエピソードの組み立ても、じつにうまくできていると思った。映画はララと父の関係を軸に物語が進行していくのだが、この父親の気持ちもすごくよくできる。でも、僕はこの映画に入り込めなかった。理屈ではわかる。確かにそうだろう。そうなるだろう。そうなって当然なのだ。でも映画を観ていても、その当然の世界に僕は入っていけない。何かが僕をこの映画から遠ざけてしまう。それは、主人公のララの「どうせ私のことは他人には理解できない」という、強く頑なな気持ちなのかもしれない。ララは他人に理解されることを拒む。誰よりも他人から理解されたいと願い、そして理解しようとする人も大勢いるのに、彼女は自分ひとりの狭くて小さな世界に入り込んでしまう。その結果が、映画の終盤にある彼女の選択なのだ。彼女にとって別の選択はあり得なかった。

(原題:Girl)

ミッドランドスクエアシネマ2(シアター12)にて
配給:クロックワークス、STAR CHANNEL MOVIES
2018年|1時間45分|ベルギー|カラー
公式HP: http://girl-movie.com/
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt8254556/

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