僕はイエス様が嫌い

5月31日(金)公開 TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

イエス様は役に立たない神様だった

 祖父が亡くなりひとりになった祖母と暮らすため、東京からとある地方都市に引っ越した星野家。小学生の由来が転校したのは、祖母の家の近くにある小さなキリスト教系の小学校だった。その学校で、はじめて「イエス様」のことを知る由来。「イエス様って何なの?」と問う由来に、「それは神様じゃないの?」と答える祖母。その翌日、由来は学校の礼拝で小さなイエス様の姿を見かける。その小さなイエス様に、由来はひとつのお祈りをする。「どうか新しい学校で友だちが出来ますように!」。その翌日、由来には和馬という友だちができた。これって、イエス様のおかげ? 由来はその後、また別のお願いもしてみる。「どうかお金がもらえますように!」。その夜、由来は祖母から「おじいちゃんのヘソクリをみつけた」と千円もらうことになった。金額は中途半端だが、これはいよいよイエス様のおかげだ。しかしそんな由来に、思いがけない衝撃的な事件が起きる。

 題名には「イエス様」が出てくるし、物語の舞台になっているのがキリスト教系の小学校。しかしこれは「キリスト教の映画」というわけではない。映画に出てくる神様は、たぶん「イエス様」でなくても良かったのだ。この映画に必要なのは「神に祈る人」だ。だから映画の中には、主人公が友人と神社で願い事をする場面も出てくる。「キリスト教の祈りと、神社の神様への願い事は違う」と考えるキリスト教徒がいるかもしれないが、この映画の中では主人公の祈りと願い事に区別は付けられていない。「友だちが欲しい」も「お金がほしい」も、あるいは神社で神様に願った何事かも、小学生の主人公にとっては、人知を超えた不思議な力を持つ何者かへの素朴な願掛けに過ぎない。その時、その願掛けの対象となる何者かの存在を、本気で信じている人の代表としてキリスト教が出てくるのだ。今の日本で、キリスト教以外にこうした役目を担える宗教は存在しないだろう。

 神に祈って願い事が叶えば、人は「神様はいる!」と思う。でも願いが叶わなければ、人は「神などいない」と思う。それが人情だ。しかしこの映画の中では、「神はいない」とか「祈りは無駄だ」という話にはならない。なぜなら「イエス様」は現実に目の前にいるからだ。それは確かに主人公の願いを聞いて友だちを与え、お金をくれた神だ。でもその神は、主人公のより切実な願いに応えてくれなかった。それどころか、主人公の前には姿すら見せてくれなかった。確かに神はいる。でもその神は、肝心要なときにまったく役に立たない神様だった。頼りない神。弱い神。中途半端な神。だがそんな神だとしても、主人公はもう決して「イエス様」からは離れられないに違いない。誰が何と言おうと、それは彼の目の前に確かに存在しているからだ。そう考えると、これはキリスト教についての映画ではないようでいて、やはり紛れもなくキリスト教的な映画なのかもしれない。

伏見ミリオン座(ミリオン1)にて
配給:ショウゲート
2019年|1時間26分|日本|カラー|スタンダード|5.1ch
公式HP: https://jesus-movie.com/
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt9018570/

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