時計じかけのオレンジ

10月4日(金)公開 午前十時の映画祭10 FINAL

辛辣すぎて観客を凍り付かせるブラックコメディ

 高校生のアレックスは暴力に夢中になっている。夜な夜な仲間たちとミルクバー(麻薬入りのミルクを飲ませる店)に集まり、高揚した気分で街に獲物を探しに行く。彼らは薄汚いホームレスを袋叩きにしてウォーミングアップしたあと、他のギャンググループと乱闘して汗を流し、最後はお高くとまったインテリの家を襲撃して鼻歌まじりに女をレイプし、夫を叩きのめすのだ。仮病を使って学校を休み、レコード店で二人組の女の子をナンパして3Pセックスにふける。アレックスの強権体制に反抗的な仲間を暴力で屈服させたまではよかったが、強盗に入った家で女を殺したのはまずかった。仲間はさっさとアレックスを見捨てて逃げ出し、彼はひとり刑務所に入ることになった……。14年の刑を受けたアレックスは、牧師お気に入りの従順な模範囚を演じることで脱出の機会を狙っている。唯一のチャンスは、心理学の理論を応用した最新の矯正プログラムを受けることだった。

 スタンリー・キューブリックが、『博士の異常な愛情』(1964年)と『2001年宇宙の旅』(1968年)に続いて監督した作品。この3作はどれもカルトムービーとして、今でも多くの熱狂的なファンがいる。だが東西冷戦や核開発競争が背景の『博士の異常な愛情』や、宇宙開発モチーフの特撮映画『2001年』が時代と共に間違いなく古びているのに対し、『時計じかけのオレンジ』は時代を超越した輝きを獲得しているようにも見える。それはこの映画が「暴力とセックス」という、どの時代にも存在する普遍的なモチーフを扱った青春映画だからに違いない。この映画で古くなっているのは、モダニズムの香りが濃厚なファッションやインテリア、カセットテープやレコードなどのテクノロジーぐらいのものなのだ。映画が持つ皮肉や批評性は今でも失われていないし、むしろ扇情的な言葉が政治の主流になっている現代を予見した作品になっているようにも見える。

 物語は主人公アレックスの一人称で綴られていく。彼は観客の共感や感情移入を拒絶するような悪党だが、それでも観客はこの映画を観ながらアレックスの言動にハラハラドキドキする。これはヒッチコックが言っていることだが、映画の観客というのは、登場人物がどれほどの悪人であっても、その人物が危機に陥ればハラハラしてしまうものなのだ。思うがままに暴力まみれの人生を楽しんでいた主人公が仲間の裏切りで刑務所に送られ、そこで人格改造プログラムを受けてさらなる窮地に追い込まれて自殺未遂事件を起こすが、最後は再び暴力の世界に復帰するというストーリー展開は、古典的な「死と再生のドラマ」をなぞっている。こうした「物語の型」を借りることで、アレックスが魅力的なキャラクターになっているのだ。なおこの映画は現在の映倫区分が「R18+」になっているが、僕は高校生の頃に観て以来30数年ぶりの鑑賞。昔の映倫は、暴力には大らかでした。

(原題:A Clockwork Orange)

ミッドランドスクエアシネマ2(シアター12)にて
運営:「午前十時の映画祭」実行委員会
1971年|2時間16分|イギリス、アメリカ|カラー|1.66 : 1|モノラル
公式HP: http://asa10.eiga.com/2019/cinema/916.html
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt0066921/

時計じかけのオレンジ (字幕版)
(2013-11-26)
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