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11月1日(金)公開 シネスイッチ銀座、ユーロスペースほか全国順次公開

細野晴臣の過去と現在

 ミュージシャンの細野晴臣は1947年東京生まれ。幼い頃は米軍占領時代で、母に背負われて銀座に出かけたとき、米兵にチョコレートをもらったことがあるという。戦争は終わって平和な時代が来ていたが、あちこちにまだ戦争の爪痕が残っていた。そんな中で細野は、戦後大量に流れ込んできたアメリカのポピュラー音楽を聴いて育つ。ドラムのイントロが高らかに響き渡るベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」や、ハリウッド映画のサウンドトラック。それらは今でも、彼の音楽のルーツのひとつになっている。大学時代にバンド活動を始め、周囲にはさまざまな人間が集まってくる。エイプリル・フールでメジャーデビューした後、大滝詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成。3枚のアルバムを発表した後、ソロ活動をスタートした。この映画は2018年から翌年までのワールドツアーの様子を軸に、細野晴臣の過去と現在を綴ったドキュメンタリーだ。

 僕は中学生時代にYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の洗礼を受けた世代なので、細野晴臣と言えばYMOのリーダーでありベーシストだった。だがこの映画を観ると、1980年のYMOブームというのは、参加メンバーの音楽キャリアの中でもかなり特殊なものだったことがわかる。映画の中では細野晴臣が、「アメリカから帰国したらすごいブームになっていて、歩いていたら野球帽の子供に追いかけられた」と苦笑交じりに語っているが、考えてみれば僕もその野球帽の少年みたいなものだった。YMOはそんな「にわかファン」を振り払うかのように、自分たちの楽曲スタイルをどんどん変化させていくバンドだった。僕も「BGM」で見事に振り落とされたわけだが、振り落とされずにYMOやその後のメンバーの活動に食らいついて行った人達の中から、多くのミュージシャンが誕生したのだ。この映画でナレーションを担当する星野源もそのひとりなのだろう。

 映画を観ていると楽しいのだが、この楽しさは、少なからず自分の人生や音楽体験と細野晴臣の音楽(あるいはYMOの音楽)の間に接点があるからこその楽しさかもしれない。何も知識がない人が、いきなりこの映画を観ても楽しいものなのだろうか? まあそもそもこの映画は、観客の側が持つ何かしらの予備知識や体験を前提としたものであって、「細野晴臣なんて知りません」という人は最初からお呼びじゃないのかもしれない。それならそれでいいのだろう。しかしそれで気になってくるのは、海外のコンサート会場で目をきらきらさせながら細野のステージに見入る若い観客たちなのだ。彼らはYMO体験などないだろう。僕は彼らがどんな経緯で細野晴臣に出会い、その音楽のとりこになったのかが知りたかったりするのだ。YMOまでの道のりは細かく描かれているのだが、その後の現在につながる活動が駆け足になってしまったのと併せて、少し残念に感じたところだ。

センチュリーシネマ(劇場1)にて 
配給:日活 
2019年|1時間36分|日本|カラー 
公式HP: http://hosono-50thmovie.jp/ 
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt11160268/

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