失くした体

11月22日(金)公開 全国ロードショー

体は消えても触れた手の記憶は残る

 冷蔵庫の中に保管されている、切断された人間の右手首。それは1人の青年の体から切り離されたものだった。手首は冷蔵庫を脱出すると、自分の身体を探す長い長い旅に出る。そこで思い出されるのは、青年の過ごしたこれまでの人生だ。そこにはいつも、右手首が一緒だった。両親と共に過ごした、幼い頃の幸せな暮らし。家族で出かけた海水浴。家族で出かけたドライブ。だがその幸せな暮らしは、交通事故で一変してしまう。天涯孤独の身の上になった少年は、やがて青年になる。そんな彼の暮らしを変えたのは、バイト先で出会った一人の女性への恋心。彼は彼女と親しくなるため仕事を変える。口下手だった青年は、この恋をきっかけにして積極的になるのだ。だが一体なぜ、手首は切断されてしまったのだろう。手首を失った青年の体はどこにあるのだろう。手首は青年の元に無事たどり着くことができるのだろうか。やがて物語は、思いがけない結末を迎えることになる。

 手首だけが自分の意思で動きまわるシュールなアニメーション作品だが、このビジュアルは以前別のところでも見たことがあった。古谷三敏のギャグマンガ「手っちゃん」だ。しかしこの映画は、おそらくそれとはまったく別のところで発想されたものだろう。そもそもこの映画は、手首の視点から物語が綴られていくという時点で、かなりぶっ飛んでいる。手首には目も耳もないはずだが、劇中には手首からの主観ショットが多々あって、映画を観ている側は少しずつこの手首に感情移入していくのだ。切断された手首に感情移入し、その行動をハラハラドキドキしながら見守る映画なんて、これまでにあっただろうか? これだけでも、この映画のユニークさがわかるはずだ。この映画の手首はまったくの無言を貫く。それでも手首の喜怒哀楽が、手に取るようにわかる演出になっている。手首はなんにも言わないけれど、手首の気持ちはよくわかる。手首かわいや〜、かわいや手首♪

 この映画が観る者の心を揺さぶるのは、ここに描かれた「手首の体験」が、観る人の経験とリンクし、シンクロするからだろう。手のひらが感じる温もり、指先をすり抜けていく風の冷たさ、指先の痛み。それらの感覚が、主人公の経験と映画を観る人の経験をつなぎ合わせる。ここには物語がある。キャラクターもある。だが観客が主人公に共感するのは、物語やキャラクターを経由してのものではない。映画の中で丁寧に描写される「手の感触」が、映画の中に観る者を引き込んでいくのだ。これはすごく新しいと思う。こんな映画は、これまでそうそうなかったと思うのだ。まあ「これまでにない!」と言うのは言い過ぎで、もちろん過去にも何かしら似たような趣向の映画はあるとは思う。(すぐには思い出せないけど。)それでも本作のように「感触への共感」だけで1本の長編映画をほぼ成立させ、しかもそれをエンタテインメント作品に仕上げた例はあまりなかったと思う。

(原題:J’ai perdu mon corps)

イオンシネマ名古屋茶屋(スクリーン3)にて 
配給:Netflix 
2019年|1時間21分|フランス|カラー|2.35 : 1 
公式HP: https://www.netflix.com/jp/title/81120982 
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt9806192/

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中