仮名手本忠臣蔵

1962年9月9日(日)公開 全国松竹系

赤穂義士は過激思想のテロリストだった

 元禄14年3月14日。江戸城松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が高家筆頭吉良上野介に斬りかかった。逆上する内匠頭を取り押さえるものがあり、上野介は九死に一生を得る。内匠頭は即日切腹。だがこの一大事のさなか、内匠頭の近習早野勘平は恋人おかると逢い引き中でその場に居合わせることができなかった。一方藩主の刃傷切腹により、赤穂藩は断絶。国を預かる城代家老の大石内蔵助は、幕府による片手落ちの裁定に憤る家臣たちに殉死を誓う。だがその心の中には、主君の本懐を遂げるために上野介を討ち果たすという復讐の決意があった。だがそれから数ヶ月後、内蔵助は京都の遊里で茶屋遊びにふけっていた。赤穂浪人たちの復讐を恐れる吉良方は警戒をゆるめず、内蔵助たちの身辺を疑い深く探っている。それを偽るための偽りの放蕩なのだ。江戸に先着している同志たちからは、次々に吉良方の情報が伝えられてくる。討ち入りの日は、もう目の前に近づいていた。

 この映画は少し不思議な成り立ちの作品だ。忠臣蔵はサイレント時代から数え切れないほど映画化されているが、昭和32年に松竹が日本初のカラーワイド版として製作したのが『大忠臣蔵』だった。上映時間は2時間35分。その5年後、松竹はこの映画の後日談『義士始末記』を製作する。しかしその時『大忠臣蔵』の短縮編集版を『仮名手本忠臣蔵』に改題して新作映画の「前編」として併映し、『義士始末記』を「後編」として上映した。これだけでも少し変なのだが、それ以上に変なのは、再編集した『仮名手本忠臣蔵』が、討入りを欠いた構成になっていることだ。これは後編『義士始末記』に討入り場面を回した結果なのだが、その結果意図せずして、松竹がかつて作った『元禄忠臣蔵(前編・後編)』(1941/1942)と同じ構成になった。もっとも作品のタッチはまるで正反対。『元禄忠臣蔵』は溝口健二のリアリズム世界、本作は題名通り歌舞伎の様式世界だ。

 忠臣蔵というのは考えてみれば変な話なのだが、この映画はその変な話から余計な枝葉を切り取ったとで、忠臣蔵の変さが際立つ結果となった。何しろ登場人物たちはすべて、最初から最後まで、殺すか、殺されるか、死ぬことし考えていない。江戸城内で主君が刃傷事件を起こしたと聞けば、「それで首尾は? 吉良を討ち取ったか?」という言葉が真っ先に出てくる人々は、藩が取り潰されて城明け渡しとなれば、「吉良を討つか、殉死するか、城を枕に討ち死にするか!」とうい三択しかない人たちでもある。死に取り憑かれ、周囲にも死を振りまいていく狂った人々。狂気の人々が死に向かって突き進み、周囲の人々もそれに感化されて死を美化し始める死の交響曲。それこそが『忠臣蔵』であり、本作は長い映画を短くダイジェストしたことで、忠臣蔵の狂った価値観がより一層煮詰まって純度を上げている。登場するのはテロリストの論理と、それに心酔する過激派ばかりだ。

ミッドランドスクエアシネマ(スクリーン7)にて 
配給:松竹 
1957年|1時間18分|日本|カラー|スコープサイズ 
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt0165168/

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