義士始末記

1962年9月9日(日)公開 全国松竹系

忠臣蔵のエピローグ的番外編

 元禄15年12月14日。元赤穂藩士四十六人は本所吉良屋敷に討入り、吉良上野介の首級を上げて主君浅野内匠頭の仇討ちを果たした。この事件の報を受けて、江戸市民は拍手喝采。江戸城には助命嘆願のため庶民が押し寄せた。こうした人々の中に、討入りメンバーである間新六の異母姉おかつと、同じく中村勘助の恋人おしまの姿もある。特におかつは、討入り前に最後の別れに訪れた弟を、そうと知らずに冷たく追い払った負い目がある。何とか罰を受けずに、命を助けて欲しい。彼女が頼るのは、かつて隣家で私塾を開いていた儒学者荻生徂徠だ。大儒学者でありながらそんな素振りも見せず、気さくに人々と語り合える徂徠なら、きっと庶民の気持ちを代弁して赤穂義士のために助命の先頭に立ってくれるに違いない。おかつはそう考える。だが江戸城内では圧倒的多数の助命派の中で、ひとり徂徠だけが四十六士の切腹を主張していた。そのことに、おかつは衝撃を受ける。

 忠臣蔵の後日談。『大忠臣蔵』(1957)の短縮再編集版である『仮名手本忠臣蔵』を前編、本作を後編として上映さた作品だ。『大忠臣蔵』の討入り場面を映画の冒頭に持って来て、あとは「本懐を果たした義士たちをどう扱うか」という話になっていく。『仮名手本忠臣蔵』はシリアスで力みかえった武士道の世界、忠義の世界、男の世界だったが、『義士始末記』は庶民の視点、家族の視点、女性の視点で描かれた作品になっている。中心になるのは岡田茉莉子が演じるおかつだ。間新六の父が芸者に生ませた異母姉で、自分自身は踊りの師匠をしている。新六とは身分の違いから、なかなか表立っては姉弟として過ごすことができないという関係だ。彼女は最後に暇乞いに来た新六が「仇討ちなど考えていない」と言うと、それを卑怯未練だとなじって家から追い出す。これは南部坂雪の別れの変奏曲。しかし新六が討入りに参加したことを知ると、今度はその助命を願うのだ。

 赤穂の遺臣たちが討入りをすれば、幕府から強いとがめを受けることは必然だった。しかし庶民は赤穂の浪人たちが吉良邸に討ち入ることを願い、それが果たされると、義士だ、武士道だ、壮挙だと持てはやす。そして今度は助命してくれ騒ぐのだ。こうした庶民の身勝手さ、浅はかさを、映画はおかつというキャラクターに集約している。赤穂義士を愛し、その行動を誉め称える気持ちと、彼らの死をどのように矛盾なく受け入れればいいのか。ここで登場するのが荻生徂徠という実在の人物で、彼がいてこそ日本人の愛する「忠臣蔵の美」が出来上がる。もっとも映画としては弱い作品で、映画で一番盛り上がるのは冒頭の討入り場面。しかもそれは『大忠臣蔵』からの借り物だから、残りの場面は薄味もいいところだ。岩下志麻演じるおしまのエピソードも、ドラマの付け合わせでしかない。荻生徂徠が主役の映画は珍しいのだが、忠臣蔵としては変わり種の小品という印象のみだ。

ミッドランドスクエアシネマ(スクリーン7)にて 
配給:松竹 
1967年|1時間22分|日本|カラー|スコープサイズ 

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