Fukushima 50

3月6日(金)公開 丸の内ピカデリーほか全国ロードショー

脚本の構成が腑に落ちない残念な作品

 2011年3月11日午後2時46分。東北地方太平洋沖で、マグニチュード9.0、最大震度7の巨大地震が発生する。だが東北各地に甚大な被害を与えたのは、自身による揺れそのものより、地震によって発生した記録的な大津波だった。福島第一原子力発電所も津波の被害を受け、主電源だけでなく予備電源まで喪失してしまう。防災マニュアルでは想定していない、まったく不測の事態だ。こまままでは熱暴走した原発内で燃料が溶け出して格納容器に穴があき、周囲に放射能をまき散らすことになる。この日原発に勤務していた職員や作業員たちは、最悪の事態を防ぐために全力で作業を開始する。全員がそれぞれ、やれることをやるだけだ。格納容器の内部圧力が設計強度の1.5倍に達し、所長の吉田昌郎は圧力を外に逃がすベントを決定。そのために必要な2箇所のバルブを手動で動かすために、作業員は二人一組の決死隊を作って放射線濃度の高い施設内に飛び込んだ。

 最悪の事態は脱したものの、現在も事故の収拾にめどが付かない福島第一原発事故を映画化した実録作品だ。主演の佐藤浩市と渡辺謙以下、出演者の層は厚くて実力派ぞろい。それが生きるか死ぬかの熱演をするのだから、見応えは十分だ。事故現場を再現した美術の仕事は見事だし、そこで右往左往する人間たちを巧みに捌く演出も水準以上に感じられる。様々な点で日本映画離れしたスケール感を持つ作品で、作品として優れている点も多い。しかしそれを台無しにしてしまうぐらい、残念な点も多いのは残念だった。この残念な度合いは、物語が進行すればするほど目立ってしまう。映画の導入部は素晴らしかったと思う。平和な日常風景から地震による非日常に移行するのではなく、最初から地震が起きた状況からスタートする。津波が襲い、電源が喪失し、原発は退っ引きならない事態に直面する。しかし映画で良かったのはここまでだ。あとはどうにも締まらない場面が続く。

 物語の組み立てとしては、忠臣蔵だと思った。プロジェクト遂行に命をかける男たちのドラマが中心にあって、その周囲に家族の物語を配置する。しかしそれなら、この映画で中心になるはずの吉田所長の家族はなぜ登場しないのだろうか。忠臣蔵的筋立てとしてこの映画を観るなら、大石内蔵助に当たる人物は、佐藤浩市扮が演じた伊崎という人物になる。ところがだ、この伊崎という人物は映画のための架空の人物。この映画には吉田所長の家族が、最後の本人の葬儀の場面になってすら現れない。また忠臣蔵だと志士たちの意気に感じて側面から応援する人たちが現れるが、本作でそれに該当するのは米軍基地の司令官。彼は伊崎と子供時代に知り合いだったというエピソードもあるのだが、米軍が行う「トモダチ作戦」は、原発事故の収拾援護ではなく、被災者支援に向けられる。話の焦点が完全にずれているのだ。こうした物語の欠陥に比べると、官邸の描写など些末なことだ。

ミッドランドスクエアシネマ(スクリーン7)にて 
配給:KADOKAWA、松竹 
2020年|2時間2分|日本|カラー|2.35 : 1 
公式HP: https://www.fukushima50.jp/ 
IMDb: https://www.imdb.com/title/tt9318772/

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫)
門田 隆将(著)
KADOKAWA (2016-10-25T00:00:01Z)
5つ星のうち4.6
¥924

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