アラビアのロレンス

1月10日(金)公開 午前十時の映画祭 10 Final

異能の人が生み出した歴史

 1935年5月。イギリスの片田舎でオートバイを運転していた男が、事故を起こして死んだ。盛大な葬儀が行われて各界の名士が参列したが、死んだ男の評価については毀誉褒貶相半ばしている。彼の名はトーマス・エドワード・ロレンス。第一次大戦中にアラブのベドウィンたちを率いて、ドイツの同盟国だったオスマン帝国と戦った砂漠の英雄だ。とはいえカイロ勤務の下級士官だったロレンスは、博識だが変わり者、軍隊内では思い切り浮いた存在だった。その彼が上官に割り当てられたのは、オスマン帝国からの独立を目指すハーシム家のファイサル王子に接触してイギリス側に引き込むという仕事。だが現地で王子の客分として迎えられたロレンスは、周囲の誰もが驚く提案を行って周囲の度肝を抜く。オスマン帝国の重要拠点であるアカバ要塞を、ベドウィンのラクダ部隊で急襲しようというのだ。しかしその行く手には、灼熱の砂漠が広がっている。作戦は成功するのか?

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フォード vs フェラーリ

1月10日(金)公開 全国ロードショー

華やかなモータースポーツの舞台裏

 1959年にアメリカ人として初めてル・マン24時間耐久レースを制したキャロル・シェルビーは、心臓の持病からレースの世界を退き、レーシングカーデザイナーとしてシェルビーアメリカンを設立。しかし小所帯の会社はいつも資金繰りに苦しんでいた。数年後、そこにアメリカ最大手の自動車会社フォードから意外な提案が舞い込んでくる。「ル・マンの王者フェラーリに勝てる車を作ってほしい」というのだ。フェラーリはこの少し前に経営破綻し、フォードに会社の売却を打診していた。若者向けのスポーツ車販売に苦心していたフォードは、フェラーリのネームバリューを求めてこの提案に飛びついた。だがこれがとんだ食わせもの。フェラーリはフォードによる買収話をちらつかせることで、他社との買収交渉を有利なものにしていたのだ。フォードの最高責任者フォード2世はこれに激怒。打倒フェラーリに燃える同社の意向から、シェルビーに白羽の矢が立てられた。

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ボヘミアン・ラプソディ

2018年11月9日(金)公開 全国ロードショー

ドルビーシネマ初体験はボヘラプ

 1970年。空港で働く音楽好きの青年ファルークは、お気に入りのバンド「スマイル」のボーカリストが脱退したと知って後釜のボーカルに名乗りを上げる。恋人メアリーとの幸せな暮らしもスタート。間もなくバンドは「クイーン」に改称し、ファルーク自身は「フレディ・マーキュリー」に改名した。最初のアルバムを自主製作中、大手レコード会社EMIにスカウトされて、クイーンはメジャーデビューが決定。3枚目のアルバからは大ヒット曲は「キラー・クイーン」が生まれた。だが同じ路線で次のヒットを狙おうとするレコード会社幹部に反発し、クイーンは「ボヘミアン・ラプソディ」という6分の大作をリリース。この曲とアルバム「オペラ座の夜」で、クイーンは人気と実力を兼ね備えた世界的バンドに成長。だがその裏側で、フレディの抱えたある秘密が、彼とバンドメンバーたちの間にきしみを生み出し始めていた。フレディは少しずつ孤立するようになる……。

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アイリッシュマン

11月15日(金)公開 全国ロードショー

デ・ニーロがスコセッシ映画に帰ってきた!

 これはひとりの男の回想だ。トラック運転手のフランク・シーランは、車のエンジン不調で立ち往生しているところで、たまたま通りがかった男に声をかけられた。立派な身なりの男は、手が油まみれになるのも厭わずエンジンに手を突っ込み、不調の原因をピタリと言い当てる。これがフランクとラッセル・ブファリーノの出会いだった。積み荷の横領で小遣い稼ぎをしていたフランクは、雇い主に訴えられたところを組合の弁護士に助けられ、彼の紹介でラッセルと再会する。すっかり意気投合した二人は家族ぐるみの付き合いをはじめる。ラッセルは裏社会で名の知れた顔役のひとりで、いつしかフランクはその右腕として、頼まれた「ペンキ塗り」の仕事を手掛けるようになった。「ペンキを塗る」は裏社会の隠語で、人を殺すことだ。そんな中でラッセルが自分の仕事仲間としてフランクに紹介したのが、全米トラック運転組合「チームスター」の会長ジミー・ホッファだった。

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NO SMOKING

11月1日(金)公開 シネスイッチ銀座、ユーロスペースほか全国順次公開

細野晴臣の過去と現在

 ミュージシャンの細野晴臣は1947年東京生まれ。幼い頃は米軍占領時代で、母に背負われて銀座に出かけたとき、米兵にチョコレートをもらったことがあるという。戦争は終わって平和な時代が来ていたが、あちこちにまだ戦争の爪痕が残っていた。そんな中で細野は、戦後大量に流れ込んできたアメリカのポピュラー音楽を聴いて育つ。ドラムのイントロが高らかに響き渡るベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」や、ハリウッド映画のサウンドトラック。それらは今でも、彼の音楽のルーツのひとつになっている。大学時代にバンド活動を始め、周囲にはさまざまな人間が集まってくる。エイプリル・フールでメジャーデビューした後、大滝詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成。3枚のアルバムを発表した後、ソロ活動をスタートした。この映画は2018年から翌年までのワールドツアーの様子を軸に、細野晴臣の過去と現在を綴ったドキュメンタリーだ。

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ブルーノート・レコード/ジャズを超えて

9月6日(金)公開 Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開

名門ジャズ・レーベルの過去と現在。そして未来……

 ブルーノート・レコードは、1939年に創立された名門のジャズ専門レーベルだ。創設者のアルフレッド・ライオンはニューヨークの貿易会社に勤めていたが、子供時代からのジャズ好きが高じて小さなレコード会社を立ち上げた。翌年にはドイツ時代の親友だったフランシス・ウルフもこのレコード会社に合流し、ニューヨークの最新ジャズを次々に録音していった。ライオンとウルフはユダヤ人で、ナチス政権によるユダヤ人迫害を逃れてきたのだ。ブルーノートでは様々なミュージシャンが録音し、その中には今でもジャズの名盤とされるものが多い。1930年代末にアルバート・アモンズとミード・ルクス・ルイスのブギウギからスタートしたレーベルは、1940年代にはビバップの名盤を数多く生み出し、1950年代のハードパップを経て、1960年代にリー・モーガンの「サイドワインダー」が大ヒット。だが皮肉なことに、これが同レーベルの身売りにつながる。

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ロケットマン

8月23日(金)公開 TOHOシネマズ日本橋ほか全国ロードショー

エルトン・ジョンの伝記ミュージカル映画

 ド派手なステージ衣装のまま、依存症の治療施設に駆け込んできた男。世界的なロックスター、エルトン・ジョンだ。アルコールや合法・違法のさまざまな薬物、さらにはセックス、過食、買い物など、ありとあらゆる依存症になっていることを告白した彼は、そこに至ったこれまでの生涯について語り始める。本名はレジナルド・ドワイト。両親の愛に恵まれない、寂しく孤独な少年時代だった。彼のピアノの才能を見抜いて、王立音楽院への進学を後押ししてくれたのは祖母だけ。レジーは学校でも神童ぶりを発揮するが、やがてロックに出会って友人たちとバンドを組む。そこで新しい自分にふさわしい名前として選んだのが、エルトン・ジョンという新しい名だった。レコード会社の募集広告に応募した彼は、そこでバーニー・トーピンという作詞家に出会ってコンビを組む。コンビが生み出した最初の大ヒット作が「僕の歌は君の歌」。初のアメリカツアーも大成功だった。

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ホワイト・クロウ 伝説のダンサー

5月10日(金)公開 TOHOシネマズ シャンテ、シネクイント、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー

伝説のプリンシパル、ヌレエフの伝記映画

 1961年6月16日。ソ連の花形バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフが、パリの空港で突然亡命した。一体なぜ、彼はそんな大それたことをしでかしたのか。ヌレエフは1938年生まれ。母が彼を産んだのは列車の中だった。貧しい生活の中でバレエに出会うが、名門ワガノワ・キーロフバレエ学院に編入したのは17歳の時。バレエダンサーとしての基礎を学ぶには年を取っていたが、名伯楽プーシキンと出会ってめきめきと頭角を現し、数年後にはキーロフ・バレエ団のプリンシパルに迎えられる。1961年のヨーロッパ公演は、ヌレエフにとって初の西側での公演。しばしば反抗的な態度を示す彼の参加に難色を示す人たちもいたが、ベストメンバーでの公演を目指せば彼を外すことはできない。パリに到着した彼は水を得た魚のように生き生きとし、フランスのバレエ関係者やセレブたちと活発な交流や夜遊びを行う。これは監視役のKGBを警戒させるに十分だった。

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バイス

** 4月5日(金)公開 TOHOシネマズ日本橋ほか全国ロードショー**

人生は、歴史は、アイロニーに満ちている

 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ。パニック状態になるアメリカ政府高官たちの中で、それまで目立たなかった一人の男が世界最大の権力を掌握する。その男の名はディック・チェイニー。通常は政権のお飾りでしかないアメリカの副大統領だが、国家の危機的状況の中で、彼は大統領さえ凌ぐ権力を手に入れる。なぜ彼には、そんなことが可能だったのか。そもそも彼は何者なのか? 1960年代。名門イェール大を中退した彼は、野心家の恋人リンに尻を叩かれて別大学を卒業し、やがて政治の世界に足を踏み入れていく。躍進のきっかけになったのは、下院議員ドナルド・ラムズフェルドのスタッフになったこと。ラムズフェルドはチェイニーを気に入り、自身がニクソン政権の要職に就いたときはチェイニーをホワイトハウスに連れて行く。ウォーターゲート事件でニクソンが辞任すると、チェイニーは史上最年少でアメリカ合衆国大統領首席補佐官に就任した。

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ビリーブ 未来への大逆転

3月22日(金)公開予定 TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

少数者を抑圧する社会常識と戦え!

 1956年秋。一児の母でもあるルース・ギンズバーグは、名門ハーバード大学のロースクールに入学した。当時同大学で法律を学ぶ女子学生はたった9人。その後コロンビア大に移った彼女は主席で卒業するが、当時のアメリカに女性を雇う法律事務所はひとつも存在しなかった。弁護士への道を閉ざされたルースは、大学の法科教授としてキャリアを築いて行く。それから10年。大学で法的な男女差別について教えているルースに、税法専門の弁護士である夫が一件の訴訟案件を持ち込んでくる。それはデンバーに住む中年の男性の訴えだった。原告は認知症を患う母親の介護のため看護師を雇ったが、その費用の税控除が認められなかったのだ。同じように認知症家族のために看護師を雇っても、独身男性以外は控除が受けられる。これは独身男性に対する法的な差別だ。ルースはこの訴訟を、法律により容認されている男女差別撤廃のための突破口にしようとするのだが……。

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